078.異国の歌
「G-colloection」
078.異国の歌
日もとっぷり暮れた森の中ほど、恐ろしいものはないと思う。
昼間なら、頭上からの太陽の光が木漏れ日となり、枝葉の隙間からいくつもの光の模様を作り出して、周囲を彩っている。萌える緑にも様々な色合いがあって、空の青が決して均一ではないように、どれひとつとして同じ「緑」では在りえない。
特別都会で暮らしているわけでもないけど、だからといって、ここまで大自然に囲まれたど田舎に住んでるわけでもない。学校行事のハイキングで山登りをする程度の田舎──、それも微妙か。
とにかく、まっとうに生活してたら、夜もふけようとしている時間帯に、森の中を歩いてたりはしないし、まして今から野宿しましょう、なんてことにはなりはしないはず。
キャンプみたいで楽しいじゃない──などとワクワクする時期は、もうとっくに過ぎた。無意識に薪とか探してる自分に気づいて、時々泣きたくなる。
なんでこんなサバイバル娘になったんだろ、あたし。
「物思いにふけってる時間があんなら、準備しろよ」
「まさか、疲れたとか言いませんよね」
「まさかとはなによ、まさかとは。あたしが体力権化だとでも言いたいわけ?」
不機嫌な声と、どうでもよさそうな声。
いつものことなのに、ついつい反応して声を返した。
「体力があるかどうかは知りませんが、大人しい君というのも珍しいでしょうに」
「あたしだって考え事ぐらいするわよ!」
「考え事は結構ですが、手を動かしてください」
「猫の手も借りたいほど忙しいってわけでもないでしょーが」
「猫がどうかしましたか?」
「──いい、なんでもない」
「よくありません」
「あーもう、あんたの異世界おもしろ大百科に貢献すんのは御免よ」
「仲睦まじく言い合う時間あったら、準備しろっつっただろ」
「どこから見たら睦まじいのよ!」
「ハルカと同レベルに例えるのは止めてください、アルディ」
「……あんたら、みんなうるさいで」
三人の輪。その中心で、呆れたようにファジーが呟いた。
スープの中身は、恒例の干し肉。それに道端でむしりとった香草を散らす。得体の知れない茸は丁寧に避けて、自分の分を確保した。
赤い茸。
見事に毒々しい。
単に赤いんでなくて、どすぐろい赤というか。ワインレッドなんて綺麗なもんじゃなく、どっちかっていったら血の赤さ。かさだけでなく、中も赤い。見ただけで「遠慮します」ってかんじの茸で、あたしはひそかに「ヘモグロビン茸」と名づけた。
そのヘモグロビン茸を食すアルディを観察しつつ、あたしはパンをかじる。
茸よりは落ち着いた赤茶色の髪をした青年は、もぐもぐとなんてことのない顔をして食べている。
なんか、拍子抜け。
実は「笑い茸」とかで、食べた瞬間からケタケタ笑い出すんじゃないかって、ひそかに期待してたのに。ああ、でも、即効性があるわけじゃないのかもしれない。潜伏期間があるんなら、まだ油断はならないわね。
ほぐした肉を食べるファジーに、新たな肉を与えながら、そんなことを考える。でも、どうせ笑い出すならアルディよりはもう一人の方がおもしろいに違いない。
嫌味なくらいに冷静なあのクリンリネスが、笑い転げる。
見てみたい。
その後の、報復が怖いけど。
「ハルカ、さっきからなに笑てんねん」
「あー、いや、ちょっと。茸がさ──」
二人には聞こえないように小声で告げる。すると、丸い琥珀色の瞳を向けて、翼猫はのたまった。
「でも、もしそうやったら、茸のエキスはスープに出てんのとちゃうか?」
炎というのは、不思議だ。
焚き火の周りに輪になって座り、燃え立つ火を眺めながら思う。
「火」そのものは、恐怖だけれど、闇の中にあると、安らぎに変わる。温かなぬくもりを与えてくれる。
空に瞬く星や、生息する草花。似ているようで、どこか違うものに囲まれている中、水や火といったものは、元の世界のものと寸分変わりなくそこにある。世界を構成する原子というのは、人が住まう地をはぐくんでいるかぎり、同一の物なのかもしれない。
こうして火を囲んでいると、なんかキャンプファイヤーみたい。遠き山に日は落ちてーって、気分になる。
ちらちらと燃える火が地に影を作り、炎の高さを調節するように木をくべる様も、ミニキャンプファイヤー。
その昔。学校行事の一環で自然の家」に行った時、クラスごとに、火をぐるりと囲んで歌ったっけね。
「なにをぼそぼそと歌ってんだよ、おまえ」
「……え?」
アルディの声で我に返る。知らないうちに口ずさんでいたのか、怪訝そうな顔だ。
「別に、ちょっとした郷愁感よ」
「なんの祈りの歌だよ、それ」
「祈りっていうよーなもんでもないと思うけど……」
こちらの世界の「歌」がどんなものなのか、聴いたことないからよくわからない。吟遊詩人がリュートを奏でるような世界だとは、今は到底思えない。だけど、だからといって「歌謡曲」のようなものがあるとも思えないし。
「そーいや、前にもなんか歌ってたよな、おまえ」
「え、いつの話よ」
「ほら、馬車ジャックと人買いの抗争ん時だよ。どっかのおっさんの荷馬車に積んでもらって、次の町まで行ったろ」
「そういえば、なにか聴こえましたね」
聴いてやがったか、こいつら。思い出して、言葉につまった。
「あれはなんて歌だよ」
言えない、「ドナドナ」だなんて。
「いいメロディでしたね。どんな歌なんですか」
言えやしない。牛が売られていくのを嘆く歌だなんて……。
「とくべつ意味なんてないし、ありふれた歌よ。そ、そんなのどーでもいいからさ──」
とりあえず話題を逸らそうと思った。
歌ってください──などと言われたら困る。真顔で歌うようなもんじゃない。
カラオケ行ってドナドナ歌う奴。普通いないでしょ。ってゆーか、入ってないでしょ、さすがに。
ところでカラオケって、何語なんだろう? 日本の造語なのかしら、たぶんそうだと思うけど、じゃあ、誰が作った言葉なんだろう?
「またなにを呆けてるんですか、ハルカ」
「あー、いや、別に」
「元の世界のことでも思い出してるんですか?」
思い出しているには思い出しているけど、それが「カラオケとはなんぞや」という議題なんだから、色気もそっけもない。
けれど、別の解釈をしたのか、アルディは引きつった笑顔で立ち上がり、大袈裟な態度で宣言した。
「よし、じゃあ今度はこっちの世界の歌を聴かせてやろーじゃねえか」
「どんな歌よ」
「冒険者の歌だ」
そう言って歌いだした「冒険者の歌」とやらは、冒険者というか、軍艦マーチというか、そんなような歌だった。腕を振り上げて歌うような、そんなかんじ。かなり調子っぱすれなのは、そういうものなのか、それとも単に歌い手の技量の問題なのか。
隣で呆れた顔をしているリネスをみるかぎり、どうやら後者のほうらしい。
景気よく、二番に突入したアルディを見ながら、リネスに問いかける。
「ねえ、あいつ音痴なの?」
「時々うまく音程が合わないだけですよ」
「──それを音痴っていうんじゃないの」
そうかもしれませんね──と、笑ったリネスの顔は、珍しく「素」で笑ってるように思えた。いつものように顔に貼りつかせた笑みじゃなくて、心で笑ってるかんじだった。
珍しいこともあるもんだ。
あまりに珍しすぎて、あたしは思わず目をそらした。
し、心臓に悪い。
目線を落としたままで数秒たったか。どうやら歌い終わったらしいアルディが、拍手を促す。お義理のようにリネスが拍手する。きっといつもそんなかんじなんだろう。どこの世界でも似たような奴はいるもんだ。
「それでは、次は私の番でしょうか」
「え、あんたも歌うの?」
「なんで驚くんですか」
「いや、なんとなく」
歌が好きなタイプには見えないじゃん──とは言えずにいると、下からファジーがのんびりと答える。
「ええやないか、うちは聴きたいな、あんたの歌声。なあハルカ」
こういう時、開けっぴろげなこの翼猫が羨ましくも思える。ファジーの声を受けて、リネスは笑った。
「ファジーは素直でいいですねえ、ハルカ」
「ひねくれてて悪かったわね!」
そうしてリネスが歌った唄は、どこか懐かしい気がした。
知らないはずなのに、知っているような気がする。
ヘンなの。
それは古い歌で、どこかの故郷を思う歌だという。
人が帰りたいと願う場所。
心の拠り所となる場所。
在りたいと願う場所。
どんな世界でも、その思いは共通なのかもしれない。
歌に国境はないっていうけれど、
歌に込められた思いは、空間も超えるのかもしれない。
暗闇の中で、煌々と燃える炎に照らされて、みんな茜色になる。
普段は冷血にしか見えないリネスの銀髪も、今は銅色に輝いて見えて、
なぜだか、別の人みたいに思えた。
炎は不思議。
冷えた空気すら、暖かいものに変えてしまうから。
歌の良し悪しはわからないけれど、
今日聴いた彼の歌声は、
きっとずっと忘れないだろうと、あたしはそう思った。