085.帰る場所
「G-collection」


   085.帰る場所



 強い人
 弱い人
 一体、なにをもってして決定されるんだろう?

「それは人それぞれじゃないかな?」
「その、それぞれがどんな基準であるのかを知りたいんじゃないのよ」
 セオリー通りの答えを返されて、あたしは憮然と口を開いた。
 あたしの前にいる人物は笑ってこちらを見た──と思う。
 と、思うというのには理由があって。
 つまりその人物は表情が見えないからなのだ。
 別に無表情の無愛想ってわけじゃないのよ。どちらかといえば感情は豊か。茶目っ気といえばかわいいけど、単に余裕かまして意地悪ぶってるだけって気もする。
 見えないのは隠しているから。
 つまり彼の顔には仮面がある。
 仮面舞踏会でも仮装パーティーでも、まして欽ちゃん仮装大賞の審査員でもないのにそんな格好をしているこの人物の正体は──

「まあ、怪盗の立場から言わせてもらえば……」
「信用ならないから聞くだけ無駄よ」
「失礼だなあ」
「嘘つきは泥棒の始まりって言うでしょ!」
「それもそうか」
 笑い飛ばされた。
 そう。彼は泥棒なのだ。
 怪盗アレン。
 そんな名で呼ばれているけれど、実は正真正銘「同類」だったりする。
 ここはメンブレンって街らしい。
 あたしが飛ばされたここ、リング大陸の南部では一番大きな都市らしい。
 らしいらしいと連発するけど、実際問題、はっきりとした地図をみたわけじゃないから、どうも今ひとつ実感がわかないというか。いや、実感っていうより感覚が掴めないってかんじかな。例えば、世界地図を見て、ここがアメリカ大陸、ユーラシア大陸ってわかって、その中で日本はここ。さらにそこから日本地図があって、北は北海道、南は九州沖縄までの位置関係があって。で、初めて場所と東西南北の関係がわかるような──そんなかんじって言えばわかるのかな。
 ここはこうですって、言われて「はいそうですか」って納得できるほど、あたし想像力豊かじゃないのよね、悪いけど。

「案外と現実主義だね、はるかちゃん」
「案外って、どういう意味よ」
「いや、だってさ。普通こういう場所に来ると、こっちに感化されちゃうもんじゃないかい?」
「感化されてるわよ、十分」
 むっとしてそう返すと、あたしはジュースを一口すする。
 フルーツミックスジュース。名前の知らない果物だけど、飲んだ味はネクターみたいだ。ちょっとくどい味。でも後口は悪くない。
「大体ね、普通に焼きそばとか屋台で売ってるような世界にきて、異世界情緒もなにもないわよ」
「そりゃそうか」
 そう言って、彼は笑う。
 格好は非常にうさんくさいけど、笑い声は朗らかだ。好青年ってかんじ。
 でも、そんな好青年が女子高生とこうして路地裏で話してる図っていうのは、決して褒められた場面じゃないと思うわ。
 いかがわしい。
 相手がもう一人の同郷人だったとしたら、援交に見えたかもしれない。
「さっきのつづきだけどさ」
「だから、泥棒のいうことは信用できないってば」
「じゃあ、怪盗アレンじゃなくて、麻生零次としての見解」
「じゃあどうぞ」
「──案外と適当だね、はるかちゃん」
「案外ってどういう意味よっ」
「褒めてんだよ」
「褒められてる気がしないんですけど」
 じと目で睨むと、彼は面白そうに笑う。こっちをからかってる風じゃない。なんていうか、子供扱いされてる気分だわ。
「そういうのも、強さのひとつじゃないかな」
「……は?」
「だから、適当っていうと言葉悪いかもしれないけどさ。前向きな考え。ポジティブシンキングってやつ。結構大事だよ、それ」
「楽天家って言いたいの?」

 あっけらかんとしていると、よく言われるのだ。
 はるかちゃんって悩みなさそーでいいよねー、とかさ。
 あたしにだってそれなりに悩みぐらいあるわよ、悩んだことのない人間なんて、いるわけないじゃないの。

「何があってもさ、その場で出来ることをして行動する。それに見合う考えを持ってる人が、強い人なんじゃないのかな」
 逆境に強い。
 それこそが、本当の意味での「強さ」になりうるから。
「だからといって、無理に強がる必要もないと思うけどね。女の子は、たまには頼ってみるのもいいもんだよ。少なくとも男にとってはね」
 その方が俺は嬉しい。
 ニカっと笑って、彼は言う。
 あたしは言い返そうと思って、やっぱり止めた。
 そもそも、この人自体かなり謎だと思うのよね。どうしてこんな世界にいるんだろう? 経緯が不明。訊いても教えてくれそうにない。
 大体さ、異世界に飛ばされて、その世界で怪盗になろうなんて、普通思わないでしょ。
 こっちに馴染みすぎてる。
 帰りたくないのかしら。

 人にはそれぞれ事情ってもんがあるんだろうし。この麻生零次って人だって、それは同じ。
 ひょっとしたら元の世界でなんかやらかして、あんまり帰りたくないのかもしれないし。

 そもそも、帰る居場所がないのかも、しれない。


「な、はるかちゃん」
「なに?」
「無理に考える必要なんてないんだよ。道はちゃんとある。まだ見えてないだけだ」
「道って、何の道? 人生の、とか言ったら蹴るわよ」
「恐いこと言うねぇ」
 ちっとも恐がってない声で笑う。
「道は道だし、場所は場所。それも人によって違うし、人それぞれでいいんだよ」
「言ってること、よくわかんないんですけど」
「元居た場所もキミの場所だけど、こっちも同じ。此処だって、キミの居場所だよ」
「麻生さんにとっても?」
 思わず問い返して、内心で「しまった」とあたしは後悔した。
 ついさっき考えてたせいで、余計ないらないことを口走ったかもだわ。
 どう誤魔化そうかと、あーうーと口をもごもごするあたしに、彼は顔を崩した。
「恐ぇーの、たまに核心突くよなー」
 まいったとばかりに、内容とは裏腹に明るい声で笑った男は、仮面を外す。
 素顔を惜しげもなく晒した怪盗は、普段の紳士めいた態度を捨てたようにあたしの前でしばらく笑うと、今度はニヤリと口元だけで笑って、
「零二でいいよ、はるかちゃん」
「──はぁ」
 結局、向こうに誤魔化されたというか、はぐらかされたような気もするけど、困ってたのはお互い様だから、まあいいか。きっとあたしが不用意に口走ってしまったことに悔いてるのを見越して、流してくれたんだろう。
「零二さんってさ、変わってるよね」
「そう?」
「うん、変よ」
「はるかちゃんも、ね」
「あ、そこは線引くから」
「げ、ずりーの」
「前から気になってたんだけど、零二さんっていくつなの?」
「それは、秘密です」
「どっかの魔族みたいなこと言って誤魔化すな」
「此処も結構、楽しいよ」
「え?」
「帰る場所はひとつにしぼらなくたっていい。待っていてくれる人がいれば、そこが帰る場所。そうすれば、どこにだってきっと行けるから」
 だからまあ、頑張りなよ。なんかあったら、力になるからさ。
 それだけを言うと、彼はまた仮面をつけてひらりと、まるで重力を感じさせないように跳躍し、軽く手を振って屋根の向こうへと消えた。

「ハルカ、こんな所におったんか。みんな心配してんで」
「あ、ごめんごめん」
 だから急に帰ったのかな?
 やってきたファジーを胸に抱いて、あたしは怪盗アレンが去った場所をしばらく眺める。
 結局、なにが言いたかったんだか。
 生まれた場所はひとつしかないけれど、住めば都で、行く先々がホームグラウンドで、つまになによ。親の転勤で引越しばっかりしてる人は色んな所に知り合いがいるから、いざって時に困らないとか、旅行した先に知り合いがいて懐かしいラッキーとか、そういう意味なわけ?
 だから、この世界も例外じゃなく。
 此処だって、あたしにとっての「居場所」のひとつだって、そういうこと?

「……それってば、帰れなくても泣くなよって、慰められてんのかしら」

 かなり嬉しくない。


「なにを呑気に突っ立ってんだ、おまえは」
「どこで何をしているのかと思えば……」
 背後から迫った声に、あたしはわざとらしい笑顔を作って振り返る。
「あらあら、そんなに心配したかしら」
「手間だっただけです」
「これでなにかあったら、夢見悪ぃだろ、オレが」
「──だと思ったわよ!」

 こんな奴らがいる場所が、あたしにとっても「居場所」だなんて、どうしたって思えない。
 だけど、前ほど嫌だとは思えなくもなっている。
 それはあれか、慣れたのか、それなりに情が湧いたのか。
 よくわかんないけど、考えたって「人の心」に答えなんてないから、
 あたしは、あっさり考えることを放棄した。

 考えるまでもなく、答えはきっとあたしの中にあったんだ──と。
 そう気づいたのは、ずっと後になってのこと。