自称探偵ジェイド 1




   黄金色の囁き



 序章


「ありがとう、君。助かったよ」
「いえいえ、たいしたことではありませんよ」
 頭を下げられて、少年は笑顔で手を振った。その足元では大きく欠伸をする翼猫が一匹。
「たいした御礼も出来ないが、これを受け取ってくれたまえ」
「ですが……」
「ほんの気持ちなんだ」
「わかりました。頂戴いたします」
 最後にもう一度頭を下げて離れていく男性を見送った少年は、次に長いしっぽをふらふらと揺らしている翼猫を見下ろす。そして、珍妙な名前の彼に声をかけた。
「おい、タロウ」
「ニャオ?」
 疑問形で顔をこちらに向けた。
 翼猫というのは人語を操ることが出来る種族であり、人間と共有生活を送ることが可能な唯一無二の魔物である。しかし、旅人から譲り受けたこの翼猫は、その人の教育が悪かったせいなのか言葉を発しない。だが、こちらの言葉は理解しているらしい反応は返ってくるので、なんとかしたいとは思っている。なにせ彼は、自分の忠実なる「助手」なのだから──


「やあ、ご活躍だね」

 不意にかけられた声に振り返る。
 通りの向こうから歩いてきたのは、少年よりは年上の青年。ほんの少し茶色みを帯びた黒髪と、それとよく似た色合いの瞳を持っている人物だ。
「こんにちは、お仕事中ですか?」
「プラス散歩中ってとこかな」
 馬車が通り過ぎるのを見送ってから道を渡ってきた青年は、そう言って笑った。
 頭ひとつ分は高い所にある顔を見上げながら「どうすればこんなに背が伸びるんだろう」と考えてみたりする。やはり異国人。骨格が違うのかもしれない。

「相変わらずの探偵ぶりだね、ジェイド君」
「見てたんですか?」
 少年──ジェイドは、驚いたように、そして少し誇らしげに声をあげた。










 1 事件の香り



   罪深きはその姿
   彼の背に呟くは
   魅惑なる言の葉
   誰よ 誰よ……





「最近はどうだい?」
「あまり大きな事件もありませんし、奴も静かですしね」
「ああ、奴かい?」
「ええ、怪盗アレンです」
 ぐっと口を結んで、ジェイドは静かにその名を口にした。


 怪盗アレン
 このメンブレンの街に現れた怪盗である。
 探偵(自称)であるジェイドにとって、彼の人物との出会いは衝撃的だった。今一歩というところで、ジェイドはアレンの犯行を阻止出来なかったという苦い思い出があるのだ。
 その日以来、いつ対決の場が訪れるともかぎらない「宿敵」との邂逅を胸に、彼は日々探偵業に励んでいるのである。
 まあ、もっとも、悪いことばかりだったわけではない。
 こうして話しているこの青年とは、あの「黄金の竪琴事件」で知り合ったのだから。

「そういえば、レージさん」
「なんだい?」
「何の事件を追ってるんですか?」
「事件? どうしてそう思うんだい?」
「今のレージさんの服装、普段着とは言いませんが、その延長線上にあるぐらいのもの。仕事上で誰かと会う雰囲気ではありません」
 面白がった口調で問い掛けられて、ジェイドは神妙な面持ちで青年を見つめる。
「先程、僕と依頼者の様子を見ていたとおっしゃっていました。どこかで待ち合わせしているのであれば、そんな時間はなかったはず。それに向こうの通りには一休みするような喫茶店などはありませんから、見ていたのであればどこかに立っていたことになります」
「なるほど、それで?」
「僕が見ていたかぎり、向こう側には人影もなかった。レージさんぐらいの背丈ならば、植え込みに隠れたとしても頭が見えるはずです。あそこに植わっているのはあまり高くならないように定期的に刈り込みをしていますから、尚の事。隠れていたとすれば、建物の隙間しかありません」
 すらすらと淀みなく言葉は流れる。
「そんな所で人の目から逃れるようにしてこちら側を見ていた。つまり、こちらを──どこかを見張っている。なにかあった時には、ただの通行人にも見える服装をしてまで見張る必要があるということは、なにかしらの事件性を帯びていることは明白ですよ」
 自信に満ちた台詞に、青年──レイジは笑って手を打った。
「素晴らしい! さっすがジェイド君だよ」
「このくらい、推理でもなんでもありませんよ」
 などと言いながらも、まんざらでもない顔つきをする辺りが、この少年が少年たる所以であろう。
 この少年の、探偵口調とでもいうのであろうか。わざと知的ぶった言葉尻が、青年にはたまらなく可笑しく思えるらしく──またこの反応は、大概の人が抱く感情でもある──、込み上げる笑みを隠そうともせずにいるのだ。
 けれど、不思議と嫌な気分にはならない。
 笑い声さえも爽やかに感じられるのは、得な性分といえるだろう。
「それで、どうなんですか?」
「ん? ああ、さて、どうかな」
「どうかなって……」
「君の推理が当たっているかどうかは別として。例えそうだったとしても、本当に事件ならばそうそう他人に明かすもんじゃないだろ?」
「守秘義務というやつですね」
「ジャーナリストに守秘義務なんてあったっけ……」
「はい?」
「ああ、こっちの話。ところでさ、君の方こそ、最近手がけた面白い事件とかはないのかい?」
「そうですね──」
 そこで言葉を止めて、虚空を仰ぐ。
 このポーズは一見すると「なにかを思い出すポーズ」
 さぞかし難事件の数々を思い起こしているのであろうと思った方もいらっしゃるかもしれないが、今のこのポーズは「なにかあったっけ?」に相当する。
 怪盗アレンこそが真の敵
 そんなジェイドにとって、他の事件など稚気に等しかった。
 決して「事件」といえるような依頼が彼のもとには舞いこんで来ないというわけでは、それはもう決してそういうわけではないのである。
「アタック紳士の事件簿」に出てくるような不可解な事件は、現実にはあまり起こらないのだから──と、自分に言い聞かせる毎日だ。

「……あ」

 小さな呟きが聞こえて顔を上げる。
 レージが顔を反らすようにして通りを眺め、それでいて後方に注意を払っている様子が感じられた。
 彼の高い背に隠れるようにして、ちらりと後方に目を走らせると、そこにいたのは女性だった。
 三階建ての住居──近年、マンションという名前で称されるようになったアパートの入口から出てきたのは、淡い色合いのワンピースを着た女性。年の頃なら20代前半、長い髪を頭の上でひとつにまとめ、一房だけ垂らした髪がさらりと背中を流れる。
 なるほど
 ジェイドは合点したように頷いた。
 あの女性はきっと、レージの想い人なのだろう。
 まだ何かを打ち明けたわけでもなく、それでも気になる相手──
 視線を感じたのか、女性がこちらを振り向いた瞬間、ジェイドは恐るべき反射神経で顔を引っ込めた。日頃の鍛錬の成果だった。小首を傾げて遠ざかる女性の背中を見送りつつ、彼は確信を深めていく。
 惹かれるのは仕方がない。
 ものすごく美人だった。
 綺麗な金色の髪が太陽の光にキラキラと光って、それはまるで宝石の輝きのようだった。
 うんうんと頷くジェイドに、青年は不審そうな声色だ。
「なに一人でにやけてるんだい?」
「え?」
「ものすっごく嬉しそうな顔してるよ」
「ぼ、僕がですかっ!?」
 図星をつかれたのか動揺じみた声を上げ、そしてあわてたように手を振り回す。
「ち、違いますよっ、べ、べ、別にそーゆーんじゃっ」
「そういうって、どんなだよ。可愛い子でも歩いてたとか?」
「なっっ、レ、レ、レ──」
「れれれって、俺はレレレのおじさんじゃねえっつーの」
「レ、レージさんっ!」
 ようやく名前を吐き出した赤面顔の十七歳の青少年を、レイジは面白そうに見やる。
「違いますよ、僕は、そんな、だってあの人はレージさんの──!」
「──あの人? ああ……、見たのか」
「見たもなにも、あの、さっきそこから出てきた方でしょう?」
 落ち着きを取り戻し、ジェイドは呼吸を整えた。
「何を勘違いしてるか知らないけど、少なくともその推理は外れだよ」
「え?」
「彼女はね、ん〜……」
「なんですか。はっきり言ってください」
「まあ、ジェイド君が最初に言ってたとおりだよ」
「……?」
 眉を寄せるジェイドを見ながら、溜息とともに、レイジは真面目な顔つきで口を開いたのだ。

「事件。俺は、あの女性を見張ってたんだよ」








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