自称探偵ジェイド 1
黄金色の囁き



 3 金糸の輝き


   彼方より出でし人
   その煌めきは罪と
   黄金色の衣を纏い
   己が心を束縛せん




 特別誰かが接触してくるというわけでもないようだ。
 ただ、彼女は歩いている。
 それだけだった。
 時折、声をかけてくる女性は友達なんだろう。立ち話をし、相手との会話の中で笑みがもれている。
 素敵だ。
 近づいてくる男性は、妖しい雰囲気ではない。
 ただ単に、彼女に惹かれて声をかけているんだろう。
 無理もないな──ジェイドは頷く。まるでエマール婦人のようだと、そう呟いた。
 エマール婦人とは、アタック紳士の住むアパートと、小さな通りを挟んで向かい側のアパートに住んでいる女性だ。アタック紳士の部屋は三階で、彼女の部屋は二階。ただ互いの建物の構造上、半階程度の高さしか開きがないため、お向かいさんともいえる位置関係にあるのだ。
 彼女が窓辺から顔を覗かせると、プラチナ色の柔らかな髪が陽光を受けて、宝石のように輝きを放つ。
 そんな描写が作中に書かれている。
 そう。エマール婦人は、アタック紳士が想いを寄せる相手。
 だが実は、エマール婦人は義賊の怪盗・ブルーダイヤなのだ。
 それを知らないアタック紳士と正体を秘密にしているエマール婦人。
 この二人の関係がまた、アタック紳士シリーズの人気のひとつでもある。
 思考にふけっていたのは数秒だった。
 だが、そのわずかな間にあの女性の姿が消えていた。
「な、まさかっ!」
 誰かに攫われたのかもしれない!
 ジェイドは脱兎のごとく駆け出し、角を曲がろうとした時に建物の隙間から伸びた腕に引きこまれる。
 押さえられたまま、背後から声がした。

「なーんだ、子供じゃない」
「あ……」
「ねえ、ボク。私に何か用でもあるの?」

 小首を傾げて笑みを作るのは、消えたと思っていたあの女性だった。
「す、すみません。そういうわけではなかったんです」
「ずーっと尾行してたのに?」
「姿を見かけたものですから、つい……」
「どこかで会ったことあるかしら?」
「いえ、特には……」
「じゃあ、どうして私のこと知ってるの?」

 たしかに妙だ。
 不審に思って当然だ。

「最近、なんかいや〜な視線を感じると思ってたんだけど……もしかして、あなたなの?」
「ち、違いますよ、僕はあなたを守ろうと──!」
「守る?」
 あっと思った時にはもう遅い。
 口を押さえるジェイドを、女性は目を見開いて、興味を引かれたような顔をして言った。
「ねえ、詳しく聞かせて。どういうことなの?」




「詐欺師?」
「……はい」
 カップを戻して、女性──カーリーは溜息をつく。
「信じられないわ、詐欺だなんて」
「ですが、どうやら事実らしいのです」
「でも、どうしてそんなことを知っているの?」
「それは、僕が探偵だからですよ」
「たんてい?」
「ええ、そうです」
 なるべく威厳があり、でもそれでいて押し付けがましく聞こえないように──ジェイドは言った。だが、相手は面白そうに笑う。
「そう、探偵なんているんだ」
 なおも笑いつづけるカーリーに、ジェイドは言いつのる。
「笑っている場合ではないのです、カーリーさん」
「ああ、ごめんね。で、探偵だろうとなんだろうと、なにかキッカケがあったから、こうして私を見張ったりするんでしょう?」
「別に見張っているわけではありませんよ、僕は」
「僕は……って、仲間がいるんだ」
「探偵に仲間は必要ありません。いるのは有能な助手だけですよ、な、タロウ」
「ナーオ」
「へえ、男二人ってわけね」
 素敵じゃない──と微笑まれて、ジェイドはまんざらでもなく胸を張る。
「それで、その男はどんな奴なんですか?」
「男?」
「ええ、あなたに近づいているという、詐欺師ですよ」
「──知らないの?」
「え──?」
「だから、あなたのいう詐欺師って奴の顔。あなた、知らないの?」
「あ、えと……」

 考えてみれば、当然の疑問であった。
 詐欺師の顔を知っているからこそ、カーリーに近づいているのが詐欺師だとわかるのであって、その逆は有りえない。
 無邪気さの中にちょっとした刺──不審感という名の刺を感じて、ジェイドは白状する。
「その、実はですね、人づてに情報を仕入れたんであって、肝心の顔は……」
「人に聞いた?」
「ええ、そうなんです。すみません」
「誰なの? その人」
「それは……」
「ニュースソースは明かせないってわけね」口を尖らせてそっぽを向く。「ジェイド君って、ひどい人だわ」
「ど、どうしてですかっ!」
「だってそうじゃない。人から聞いたって、じゃあその人、私のことをどこかから観察してたってことじゃない。そんな得体の知れない人から常に見張られてるだなんて、私、恐いわ」
 哀しそうに眉を歪めて、俯いた。
 前髪がさらりと垂れて顔を隠す様子が痛々しくて、思わずジェイドは身を乗り出す。手をついたテーブルの上で、ソーサーがかちゃりと音を立て、隣の客の視線を感じた。
「違いますよ、レージさんは決してそんなやましい気持ちがあるわけではないです、きっと、ただ、あなたが心配なだけですよ!」
「レイジ、さん?」
「そうです、記事者の方で、僕はその人の知り合いでして」
「記事者? じゃあ、あなたの情報提供者って、レイジさんなの?」
「──はい」
「……そう、そうなの」
 力尽きたように、ジェイドは椅子に座り込んだ。
 ついつい名前を明かしてしまった。
 そんな様子に気がついたのか、カーリーは笑みを見せ、ジェイドに声をかけた。
「私、聞かなかったわよ」
「──え?」
「な〜んにも、聞いてないわ。何か変なことでも言ったの、ジェイド君?」
「…………いえ」
 聞かなかったことにする。誰にも言わないから安心してね。
 カーリーはつまり、そう言っているのだ。
 胸に熱いものが込み上げてくる。
 ああ、なんて素敵な人だろう……
「なにかわかったら教えてね、ジェイド君」
「はい、おまかせ下さい!」

 差し出された色白の手は、彼が今まで見た人の中で一番細く、美しかった。







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