自称探偵ジェイド 1
黄金色の囁き



 5  真実の星闇


   星降らぬ夜に闇動き
   佳人の姿此処にあり
   宵闇と虚空を味方に
   風舞うよに踊り給う




 夕方、ジェイドは出かけるために、そろりそろりと足を忍ばせて家の中を歩いていた。
 先日、彼が美術館で倒れているのを発見されてから、両親はやたらと彼に対して目を光らせるようになっていた。こっそり出かけるのも一苦労だ。
 もう子供じゃないんだから、勘弁してくれよな──と文句を言うと、「子供じゃないってんなら、その証明として子供をこさえてみな!」と、母親とも思えない答えが返ってきて以来、別の対抗策を練っている最中である。ちなみにそれを聞いた父親は「相手は五つは年上にしておけ、同年代は後が恐いからな。あ、年下は犯罪だから気をつけろ」とアドバイスをしてくれた。
 この親には勝てないと、改めて思った。
 ダイニングのテーブルの上にメモを残し、ジェイドはこっそりと外へ出た。
 タロウを従えて、彼は「そこ」に向かった──




 街灯の明かりも遠い。
 取引きともなればそれは当然だけれど、見張る側としてもその程度の仄暗さが丁度よくもある。植え込みに身を隠し、ジェイドは息を殺して待っていた。
 やがてコツコツとビルの合間に音を反響させて男が現れた。
 襟を立てたコートを着た男──ジェイドが旅券を捜してあげた男だ。
 己のごくりと唾を呑む音が、まるで一体に響き渡るような気がして、ドキドキする。
(ついに、犯行現場に居合わせたんだ、俺は!)
 気分は高揚していた。
 脅されてやって来たカーリーの、あの細い手首を男が掴み、押さえつける。
 そこへ颯爽と現れる名探偵。
 もうわかっているんだ、無駄なことを重ねることはないだろう。
 犯人に向かい、告げる。
 そこへ警察が駆けつけてくる──
「完璧じゃないか……」
 彼はすっかり自分に酔っていた。
 タロウが呆れたような顔つきで見上げていることにも気づいていなかったジェイドは、当然「それ」にも気づいていなかったのだ。


「あら、早かったのね。時間に忠実な人って、好きよ」

 軽やかに響いた声。

「で、約束は守ってくれたのよね?」
「あ、ああ……」
「じゃあ、見せてもらおうかしら」
「こ、これだ……」


 自信に、魅惑に満ちた女性の──カーリーの声。
 それに脅されているかのように、男の震え声が聞こえた。


「あら、素敵。はじめっから私にくれていればこんなことにはならなかったのに」
「お、お願いだ。あの事は──」
「わかってるわよ。言わないわ、あなたが殺人犯だなんてことは」
「…………」
「人殺しの代償がこの宝石ひとつなんだから、安いものじゃない。もしよかったら、あの旅券もあたしが処分してあげてもいいわよ。あれって意外と高くはけるの、知ってた?」
「……なんて女だ」
「あら、その女に騙されたのはあなたでしょ。オトコってほんっとバカだわ。だから仕事もやりやすいんだけど」



 笑う。
 おかしそうに、面白そうに。
 カーリーが笑っている。
 ジェイドは凍りついたように動けなかった。
 どういうことなんだ。
 あの男が人殺しだって!?
 旅券といっていたのは、ジェイドが探し当てた旅券のことだろうか。彼はこの辺りで落として見つからないんだと言っていた。それは遺留品として見つかったら大変だと、そういうことだったのか……。
 そしてこの状況。
 男の犯行を知りながら、告発することもなく、強請っているカーリー。
 そんな、まさか……、

 詐欺師がカーリーの方だったなんて──


 立ち上がろうとしたジェイドの服を、タロウが引く。まるで「待て」と言っているかのようだ。
「離せよ、タロウ! 行って止めないと──」
 すっと音もなく現れた黒い影を見た気がした途端、首筋に軽い衝撃を感じてジェイドの意識がとんだ。ただ「お疲れさん」という声が聞こえたような気がしただけだった。
 ジェイドの身体を横たえてから、彼は植え込みを抜ける。男と女が、驚いた顔でこちらを見ていて、仮面の下でふっと笑った彼──怪盗アレンは、そのままの足取りでゆっくりと二人に近づく。
 カーリーの視線が外れた隙を見計らったかのように、男はもつれる足で逃げ出した。慌てて振り向いたカーリーだったが、その遠い背中を確認し、そして舌打ちを洩らす。
「怪盗アレンね」
「他の誰かに見えるかい?」
「光栄だわ、有名人に出くわすなんて」
「こちらこそ、高名な女性詐欺師に対面できて嬉しいね」
 そこで一度そこで言葉を止めたが、カーリーは苛々をこめた瞳でアレンを睨む。
「この間から感じてた視線はあなただったのね」
「気配は殺していたつもりだったんだけどね」
「よく言うわ。あんな露骨な気配で。おかげで何度失敗したと思ってるのよ」
「それは俺の知ったことじゃない」
「どこまで邪魔をしたら気が済むのかしら?」
「それはこっちの台詞だな、イノウエユカリさん」
 カーリーの顔が強張った。
「あ、あなた……」
「同朋は意外に多いんだよ、イノウエさん」
「──じゃあ、あなたがアソウレイジ」
「そう、探偵君の情報提供者だよ」
 怪盗アレン──レイジは薄く笑った。
 いつもの彼からは想像もつかないくらいに、冷たさを帯びた笑みだった。
「君の噂は耳にしてた。顔みてわかったよ、同郷人だって。となれば調べるのは簡単だった」
「簡単……ですって?」
「ああ、たいして難しくはない。情報ってのは、どこにでもあるもんさ」
「教えてはくれないのよね、きっと」
「君は知る必要のないことだから」
「あなたには必要だってわけ?」
「そういう意味じゃない。ただ──」
「ただ?」
「君が知ったとしても、意味を成さない。それだけだ」
「…………!」
「お迎えだ」

 遠くから夜の静寂を破るように、サイレンの音が響いてきた。









 終章


 詐欺師逮捕
 どの広告を見ても、そんな文字は見当たらない。
 あれは一体なんだったんだろう?
 夢だったのか──ジェイドはそう思った。

「やあ、ジェイドくん」
「レージさん……」
 広告板の前で佇む少年に、現れた青年が近づいてきた。
「あの女性は他国から追われていたらしくてね、彼女を連行したのも、その人たちだそうだよ」
「……そうですか」

 あの後、
 気がつくと側にレイジがいた。どうやら彼も見張っていたらしい。隙をみて警察へ連絡をして戻ってきたところで、倒れていたジェイドを見つけ出してくれたのだという。
 なにが起こったのか、首筋の痺れのせいでうまく考えがまとまらなかったその時に、ふっと甘い息とともに、声がした。


「楽しかったわよ、探偵クン」


 すれ違いざま、耳元でくすりと彼女は微笑んだ。
 驚いて振り返ると、腕を掴まれ連れ去られる背中しか見えなくて、一体どんな表情をしているのかジェイドにはわからなかった。
 ただ、瞳の端に映った彼女の金色の髪と囁きだけが、目と耳に焼きついている。
 そんなジェイドを少し気の毒そうに見つめていたレイジであったが、ふっと微笑むと少年の背中をどんと押した。

「でも、やったじゃないか。犯人を追い詰めたんだから、さすがは探偵くんだよな」
「…………」

 正確には犯人を誤認していたのではあるが、そんなことはおくびにも出さず、ジェイドは胸を張ってみせた。

「まあ、たいしたことではありませんよ。僕はしがない一市民でしかありませんからね」
 アタック紳士のお得意の決め台詞で、彼はにんまりと笑ってみせた。
 ウニャオと、タロウも鳴いた。










読めばわかりますが、一番私がやりたかったのはアタック紳士です。ってゆーか、そもそもエマール婦人のために作ったといっても過言じゃありません。「紳士がいるなら夫人が必要だ」ということで作ったわけですが、夫がいるのはまずいので婦人にしました。元ネタはたぶん赤川次郎の「フルコース夫人の冒険」だと思われる(笑)
カーリー。めちゃくちゃ名前に悩んだ結果、外人口調で言うと「オウ、ユカーリィ〜」と言いそうだという理由で、きっとこっちに来て名前言ったら「カーリー」って言われたんだろうなあと想像して、そうなりました。全国の井上ゆかりさん、ごめんなさい(笑)