グラナディア 第一章

 第一章 貴族の娘




1.旅立ちの日



 窓の外を流れる景色に、石造りの家が目立ちはじめる。音をたてて走る馬車が通る街道もまた石畳に変わっていた。時折すれ違い、追い抜かれていく乗り合い馬車をなんとなく目で追っては、胸中でつぶやく。
(いい身分よね、貴族様って)
 自らが乗っている馬車の内部をチラリと見て、向かい側にうつむいて座っている老執事に目を止める。先程からそのままの状態で全く動かないのを見て「操り人形みたい」と少女は思った。そういえば、初めて会った時からそうだった。



 ある日、家の前に不似合いな馬車が止まった。
 玄関に立っていたのは、質の良さそうな服を着た四十代の男性とその後ろに影のように付き添っている老人。  眉をひそめている少女に、男は問いかける。
「君はシンクレアの……?」
「娘ですっ」
 男が口にしたのは、行方がわからなくなった母の名前だった。
 ファインは慌てて二人を中へ引きいれた。
 二人分のお茶をだし、彼らの前に座る。優雅な手つきでカップを持つ紳士に多少いらつきながらも、ファインは母のことを尋ねた。
「母を、シンクレア=ソブラニーの事、何か御存じなのですか?」
「君の母親は事故にあったんだよ、ファイン=ソブラニー」
「事……故?」
「先日、セーラムに魔物が現れた。その事は?」
「……くわしくは知りませんが」
 あの日聞いた噂話。
どこかの都市に魔物が出たと。それがセーラム? しかし、それが一体何だというのだろう。あの騒ぎで死者が出たなどとはきいていないが……。
「あの、それが一体……?」
 目線を下げ、言葉を探す様子を見せた目の前の紳士は、やがてファインを見つめ、
「魔物はセーラムにいた傭兵団によって倒された。その際、一台の馬車が巻き込まれ炎上した。その馬車に乗っていたのがシンクレア、君の母親だよ」
「……え……?」
 震える唇からもれた声を、ファインはどこか他人ごとのようにきいた。
 本当にショックな事があると、人はその事から逃げようとするのだと思った。
 母さんが、死んだ……?
 その言葉を受けとめる姿を、もう一人の自分が別の場所から見ているような、そんな感覚だった。淡々とした言葉でその時の様子を紳士が語るが、そのほとんどをファインはきいていなかった。決定的な言葉をきくことを拒絶しているのかもしれない。信じられない信じたくない。
椅子に座っているというのにフラフラとその場に倒れそうになる。頭をおもいっきり揺さ振られたような感じがしていた。
 シンクレア、私の、出会い、告白、娘、馬車、炎上――
 紳士の言葉の断片だけを無意識の頭で反芻する。
「あの、それで、どうしてあなたがここへ……?」
 うつろな頭でひとつの疑問を口にする。
 紳士は少し眉をひそめ「きいてなかったのか……」と口先だけでつぶやき、もう一度その言葉を口にした。
「あの事故の前、私はシンクレアに会っていたんだ。ファイン、私は君の父親だよ」


 それから後のことは、あまり覚えていない。
 父親――ダンヒル=ウィンストンと名乗ったその男は、一緒に暮らそうと宣言し、無表情で控えていた老人を従え「一ヵ月後に迎えに来る」と言い帰っていった。  母のこととは別の意味で呆然とし、ファインはしばらく動けなかった。
 父親? しかもその男はやたら身なりのいい男であった。
 そんな都会の人間が、あたしの父親!?
「なによ、それ……」
 沸き上がってきた感情は、喜びではなく怒りだった。
 今の今まで放っておいて、急にやってきて一緒に暮そう?
 冗談じゃない。
 事故の直前、母に会ったと言っていた。どうせ母を失ったかわいそうな少女の面倒をみてやろうなどという憐れみといったところだろう。金持ちの考えそうなことだ。こと、都会の貴族などは、そういった外面を気にするものだ。
「冗談じゃないわ……」
 低くうめく。
 近くに人がいたならば、青ざめて逃げていきそうなくらい凄味のきいた声であった。
 拳を握りしめテーブルに叩きつける。
 ミシリと音をたて、分厚いテーブルにヒビがはいった。
 イライラがおさまらず、壁に立て掛けてあった木刀を手に取り、家の裏に向かう。
 裏手にある大木にぶらさげてある木片に木刀を打ちつけはじめた。
 右に左に、上に下に。打ちつけることによって不規則に跳ねる木片に、狂うことなく正確に木刀を打ちつづける。
 ファインのストレス解消法、其の壱である。
 舞うように木刀を払う。身体の動きに合わせて空色の髪が空中を踊る。
 力を込めて横に払った木刀が、ぶらさげていた縄ごと木片をはじきとばした。
 それを合図とするように手を止める。肩を上下させ、流れてくる汗もぬぐわずに立ちつくす。たいがいの出来事は、これできっぱり割りきることができたが、今日ばかりは何故かちっとも心は晴れなかった。
 そうだ。
 いつもは母が話を聴いてくれたのだ。
 ファインのまくしたてる言葉を聴いてゆっくりと返してくれる言葉。
 大人達がよく使う説教めいた言葉のように押しつける口調ではなく、本でも読み聴かせるようなそんな口調で言葉をくれた。
 嬉しい時、悲しい時、怒っている時。一緒になって笑って、泣いて、怒っていた。
 いないのだ。
 いつもそこにいた母は、もうこの世には居ないのだ……──
 母が消えたあの誕生日の日から今日まで、一度たりとも泣いたことはなかったが、その時初めて、ファインは涙を流した。



 その後のファインは時の人であった。
 金色のラインをあしらった黒塗りの馬車がやってきたのだ。これが噂にならないはずがない。買物に出たファインは、行く先々で皆に取り囲まれたのだった。
「どういうことだよ、ファイン」
「同じ事きかれてくたびれてんだから、あんたまでそんな事訊かないでよ……」
「そんなことじゃないだろっ、セーラムに行くって本当なのかよ」
 ため息をついてファインは息を荒くしている少年に告げる。
「不本意だけど本当よ。仕方ないのよ、相手は貴族。田舎娘が断わるわけにはいかないわ。あんたならわかるでしょう、フレイク?」
「だけど……!!」
 唇を噛みしめうつむく少年の肩に手を置いて、
「フレイク、あんたがしっかりしないでどうすんのっ」
 二つ年下の少年に喝をいれる。孤児グループの中でファインに次いで慕われているフレイク。ファインが去った後、バージニアを悪童達から守るのは彼の役目だ。それが出来るだけの力を持っている。腕だけではなく頭もきれるこの少年があるからこそ、ファインはここを離れる決心もできたのである。
「だけどファイン。貴族なんかの娘になったって、駒にされるだけじゃないか」
「そんなことわかってるわよ。セーラムは貴族間の争いが厳しい所だもの。娘がいれば政略結婚でもさせてってとこでしょ」
 吐きすてるように言い放つ。
 温厚な人が多いことで有名なウィンディアであるが、都会の──権力が絡む人々は隙あらば別の人を押し退けようとする気質が強い。やはり人間、金が絡むと人が変わるのだろう。しかしそういった敵愾心を外見上は取り繕うため、表面下での足の引っ張り合いが行なわれるのである。
 ファインが行くのもそういった貴族のひとつ。セーラムの中で力をつけておけば、王族への足がかりになる。どこの都市における貴族も同じようなことをしている。たまたまファインにその役目が巡ってきただけだ。
「逆らったって、こっちにはいいことなんてひとつもない。下手すりゃ金にモノいわせて町つぶすくらいのことしかねないもの」
「そんなもん、返りうちにしてやるさ」
「フレイク……」
 彼とてわかっているはずだ。そんなことをしたら逆効果だというを……。バージニアのような小さな町は抵抗らしい抵抗も出来ないだろう。
 幼い頃から過ごしてきたこの大事な故郷を自分一人のせいで危険にさらすわけにはいかない──彼女はそう考えた。また、セーラムに行けば母の事が何かわかるかもしれないという思いもあった。
ウィンディアの人間にしては色白の肌であった母。どこで生まれ育ったのか、父親の事も含め、母の事をファインはよく知らない。何となくきいてはいけないような気がして、今まで知ろうとしなかった。しかしセーラムに行けば……。
“父親”の所に行けば自分の知らない母親の事を知ることができるだろう。
「──負けんなよ」
「え?」
「都会の腑抜け共になんか負けんなよっ」
「バカね、あたしを誰だと思ってんのよ」
 フフンと笑ってファインは胸を反らせた。
「ファイン=ソブラニーをなめんじゃないわよっ」