グラナディア 第一章

 
第一章 貴族の娘


2.ウインストン家



 ガタンと大きく馬車が揺れて、ファインは我にかえる。街道を走る馬車の中に、これと同じような自家用の馬車が増えはじめている。住宅街へ近づいてきているということだろう。
 傍らに置いてある荷物を引き寄せる。あの小さな家から選びぬいた私物。持っていくことのできない家財の数々は、フレイクに一任してある。以前から家にもよく出入りしていた子供達に任せておけば心配いらない。よく知らない人に開け渡すよりはずっと安心できるというものだ。
 ダンヒル=ウインストンが初めて訪ねてきてからの一ヵ月は早かった。町に居る知り合いの中でも特に貴族階級の事について詳しい男に、あれやこれやと学んだ。行くからには完璧をきしてやる。元来の天邪鬼な性格が顔を出した彼女は、あの老人が迎えに来るまでに涙ぐましい努力の日々を歩んだのである。
 今の彼女はまさに(来るなら来い!)といった心境であった。
 ファインを乗せた馬車が左へ曲がる。
鉄製のヤリを突き刺したような柵で囲まれた屋敷の横を走り、やがてその家の門柱へと辿りつき、開け放たれた門から敷地内へ馬車が乗り入れる。噴水・テラスをはじめとした庭園が目に入った。
(はっ、成金趣味な庭)
 ファインが調べたかぎり、このウインストン家というのは、それほど抜きんでた家ではないようだ。力をつけはじめたのは近年になってから。代々の名家のような歴史がない分、風当たりは強いらしい。
 門をくぐって数メートルで馬車が停止した。玄関までの距離は意外に短いらしい。それまで彫像のように動かなかった老執事が音もなく起き上がり、馬車の外へ降りた。続いてファイン。執事が差し出した手を断り、荷物を抱えて飛び降りる。舗装されたその道に降りてから、淑女ならば手をとるべきだったかとも思ったが、あとのまつりであった。事実、老人も御者も変な目つきで彼女を見ている。
(しまった、ついいつものくせでっ)
 気づかれないように舌打ちしつつ、老執事の後を追って玄関へと急ぐ。
「お連れいたしました」
 扉を開け、告げる。
 入り口の小さなホールには十名の使用人達が並んでこちらにおじぎをしている。中央の階段からは四人の人物が降りてきた。
「やあ、よく来たねファイン。歓迎するよ」
 大げさな身振りで朗らかに笑うのは父親であるダンヒル=ウインストン。その後に偏屈すうな年配の男性、神経質そうな年配の婦人の二人。その斜め後に気の弱そうな女性が控えている。順に祖父、祖母、そしてダンヒルの夫人というところだろう。
 なんというか、見るからに歓迎していない雰囲気である。何より目つきが怒っている。異分子を見る目だ。
 それはそうだろう。
彼女は正妻の子ではないのだ。いきなり現れた娘を手放しで迎えいれる方がどうかしている。不遜な視線を真正面から受け止めて、ファインは極上の微笑みでもって礼をした。
「お初にお目にかかります皆様。このたび、母を亡くした私を温かく迎えていただきましたこと、ファイン=ソブラニー心より感謝いたしております」
 深くおじぎをしたファインの耳に、ほう……という感嘆の声がきこえる。
 辺境の田舎町から来るというから、どんな田舎娘かと思っていた使用人達は、目を見張った。
礼儀も作法も知らない野性児だとばかり思っていた。ところがどうだろう、あの美しい物腰は。色の白い肌に整った顔、野放しにしてある空色の髪が背中を流れ、サラリとこぼれる。細い肢体にまとったドレスは簡素ではあるが、それが逆に彼女の美しさを際立たせている。
「長旅で疲れただろう。部屋に案内させよう」
 ダンヒルが言い、例の執事に先導され荷を片手に中央の階段へと足を進める。後ろからは男達の好奇の視線とメイド達の嫉妬の視線が突きささる。祖父母の脇を通る際には痛いぐらいの冷たい視線、夫人は巧みに目をそらしていた。
(とりあえず第一関門は突破ね)
 一応の手応えを感じ、ファインは笑う。二階の長い廊下を歩きながら、ふと気づいた。
「ねえ私、あなたの名前をきいてないわ」
「私めはロスマンズと申します、ファイン様」
 つぶやくような小さな声で背を向けたまま答えた。
 愛想のない奴……。肩をすくめて小さく呟く。
二階の一番奥の部屋へと案内され、ロスマンズが扉を開く。扉を開けたまま戸口に立ち、ファインを中へと促した。
 自室へ第一歩を踏み入れて、小さく息をのむ。
 入って右側には天蓋付きのベットが横向きに置かれている。その脇には灯りを置いた小さな机、ベッド手前には鏡台。左側には衣裳ダンスが並び、正面の出窓の前には、大きな机と背の高い本棚がある。レースのカーテンがかけられたガラス戸は、ベランダへと通じているようだ。
 フリルとレースに色どられた装飾に目眩を感じたが、それさえなければ悪くはない。小さい頃は、物語で語られる王族の部屋を夢想したものだが、それに少し似ていた。
 荷物を持って部屋に入り、どこに置こうか迷ったあげく、大きな机の前に置いた。
 役目を終えたロスマンズがさがり、一人になったファインは、両手を広げて回転しながら部屋を見まわす。ベットに腰かけその柔らかさに驚き、衣裳ダンスを開けてそのきらびやかさに目を丸くする。
 これがあたしの部屋。
 バージニアの小さな家の中にあった彼女の部屋の三倍はある。しかもこの屋敷には、これと同じような部屋がもっとあるのだ。理不尽な怒りを感じつつ、荷物の整理をはじめた。
隠し持っていた一振りの剣を取り出す。
不思議な文様が描かれた鞘に収められた細身の剣。柄には彼女の瞳と同じ翠色の石が飾られている。  七つの歳、酔って暴れていた冒険者三人を叩きのめした時、母がくれた剣だった。
 正しく剣を使いなさい――と。
 当時の彼女にその剣は、いくら小振りとはいえ重かったであろうが、不思議と苦ではなかった。剣を母に認められた嬉しさもあったかもしれない。母の大事な物だったらしく、大切にしなさいと言われていたので、普段の稽古ではあまり使用していなかった。
何にせよ、ファインにとってこの剣は母の形見のような物でもあった。
(淑女たる者、剣を持つべからず、よね)
 どこに隠そうかと思案していた時、ドアがノックされた。
「失礼します」
 興味深そうな瞳のメイド服の少女が顔を出す。
「私、ファイン様のお世話をさせていただきますミュリエルと申します」
 剣を手にしたままファインは固まった。頭だけ、ぐりんとドアを振り返ると、これまた口を開けて惚けているメイドと目があった。
「ち、違うのっ、これはっっ」
 我ながら何が違うんだかよくわからない言い訳が、口をついてでる。
「つまり、その形見で、宝物で、だから別に使うとかそーいうんじゃ……」
 しどろもどろで説明を続けるファインを見て、ミュリエルは吹きだした。
「アハハ……、すごいお嬢様かと思ってたら、やっぱそうでもないんだ」
 なおも笑い続けるミュリエルの姿に、ファインも拍子ぬけし、次第に笑いはじめた。
 しばらく笑い続けた後、ミュリエルが口を開く。
「ごめんなさい、笑ったりして」
「こちらこそ、驚かしてしまいましたわね」
「まあね、でもすごく綺麗な剣……」
「ありがとう。そうだわ、これ隠す場所何処がいいと思いますかしら?」
 小首をかしげて問うファインに、ミュリエルも部屋を見まわす。
 二人はああでもないこうでもないと、部屋を歩き回りはじめた。
「たしかバージニアの出身だよね」
「ええ」――ド田舎だけどねと、胸中で付けくわえる。
「私、十才までコロネラにいたの」
「本当?」
 コロネラは、バージニアの五つ隣のこれまた小さな村。娯楽に乏しいということでは共通している田舎である。
「ねえ、ファインお嬢様」
「なにかしら?」
「ずばり猫かぶりしてるでしょ?」
 一瞬ピクリと頬が固まるが、すかさず微笑み、
「貴族様のお宅に招いていただけて、多少の緊張はいたしますわ」
 と柔らかに告げる。ミュリエルはきょとんとした顔をして、次に笑った。
「筋金入りだわ」
 衣装ダンスの戸を開け中を覗きこみながら、独り言のように喋りはじめた。
「あたしもね、コロネラに居た時両親亡くして、親戚に連れられてセーラムに来たの。ところがその親戚ってのがろくでもない奴で、盗みやらかして捕まったあげくコロッと死んじゃった。一人残された私にどうしろってのよね……」
 自嘲気味に笑い、言葉をつづる。
「流れ流れてこの家でメイドとして雇ってもらえてるけど、都会の人間は田舎者を色メガネでみるでしょ? 新しくお嬢様がやって来る、しかも田舎町からって聞いて驚いたと同時に、楽しみでもあったの。どんな子だろうって。そしたら、すごい美少女が来てびっくりよ」
「そのお嬢様がボロだした──って?」
「誤解しないでね。陰口の種にしたいわけじゃないし、同じ地方出身だから同類憐れむってわけでもないの。ただ──」
「ただ?」
「そうね、ただ単に友達になれるかなって、そう思ったのよ。あなたの顔見て」
 こちらを見て笑うミュリエルの邪気のない笑顔を見て、ファインはバージニアを思い出した。
 駆け回って遊んだ日々。子供達の笑い声、店屋のおばさんが大口をあけて笑う顔……
 富とか権力とか、そういった事とは無縁な世界。慈母神ネフェルの下で生きている人々。
 ミュリエルは顔の下でほくそ笑むような欲にまみれた人ではない。
 彼女のその顔こそが、彼女自身である何よりの証拠だった。
「ホント、あなたとは気が合いそうだわ」
 自然に顔がほころんだ。
「女同士、仲良くいきましょう」
「伊達に六年都会暮らししてるわけじゃないわよ。ま、私にまかせなさい」
「よろしく、先輩」
 見つめ合った二人は握手を交わし、やがて笑った。
 こんなに楽しく笑ったのは、母が消えてからはじめてだった。