グラナディア 第一章

 
第一章 貴族の娘

3.疑惑の晩餐



「なんで夕飯の為だけに着替えるわけ!?」
「そういうもんなのよ」
「だからなんで?」
「知らないわよ、そんなこと」
 衣裳選びをしているミュリエルの背中に、ファインは話しかける。椅子の背を前にして手をまわし、足をひろげて跨って座るその姿は、知らない人が見れば仰天するだろう。
 すっかり打ち解けた感のある二人。ミュリエルはファインの為に衣裳を吟味している真っ最中だ。
あと数時間ほどで夕刻を迎える。家族が揃うその夕食時がいわばファインのお披露目の場でもある。なめられないためにもそれなりの格好をしなければ──ということで、ファインはミュリエルに見立てを頼んだのである。
 しかし、金持ちの考えは理解出来ない。
 ファインは思う。何だって夕食の席の為だけにいい服を着るのだろう? 来客があるのならばともかく、家族の前で着飾って何の意味があるというのだ。服を汚す可能性だって高いだろうに……。
「変なの……」
 天井を見上げてぼやくファインに、ミュリエルが一着の服をひろげて見せる。
「つべこべ言わない。これにしましょ」
「うわ、すご……。こんな立派なの夕食に着ちゃっていいわけ?」
「いいのよ、外出着じゃないから」
「うそぉ!?」
 目の前にひろげられた服に手を伸ばす。柔らかな手触りの淡いブルーのドレス。これが外出着じゃないだなんて、一体全体貴族というのはどういう生き物なのだろう? このドレス一着あれば、バージニアでは三ヶ月は暮らせる金になるだろうに……。
「気持ちはわかるけどね。私も理不尽だって思ったもの」
 肩をすくめたミュリエルは、ファインを立ち上がらせてドレスをあてがい、次にアクセサリーを選びはじめる。ファインも着ていた服を脱ぎ捨て、新たなドレスに足を通した。



「一体どういうつもりだ、ダンヒル」
「いえ、ですから……」
 父であるダビドフの怒りの言葉に、ダンヒル=ウインストンは許しを乞うような薄笑いを浮かべる。当主の座を退いたとはいえ、その威厳は消えることもなく、ダンヒルにとっては今もって頭は上がらない存在である。曾祖父の代から名を上げ始めたウインストン家の激動の一代を担ってきたダビドフからしてみれば、彼などは「なっていない」というところなのだろう。しかし──
(時代が違うのだ。古いしきたりにばかり縛られていたって何も出来はしない、父上はわかっていないのだ)
 無論、その言葉を父に向かって言うことは出来ず、胸中で呟くだけである。
 今日到着したあの少女──ファインについて、ダビドフは納得していない様子である。確かに父にはたいした説明をしていなかった。
(現当主は私なのだから、父に断る必要が何処にある)
 そう自分に言い聞かせていたのだが、それは建前であって本音のところでは反対されるのが怖かったのだ。説明したところでわかってはくれないだろう。
 そう、分かりはしないのだ。
 それが我らにとってどれだけ重大な事であるか……。
「私とキャメルの間に子がいないのですから、ファインを私の娘として引き取ったところで何の問題があるのです父上。あの娘とてもう十六、然るべき所へ嫁がせて――」
「縁組をダシに力をつけたところで何になる」
「ですが……」
 もはや堂々巡りといった感じの会話を扉の外できいていたダンヒル夫人──キャメルは、向こうから歩いてきた義母の姿を認め、その場をそっと離れる。すれ違いの際、義母から向けられる冷たい視線から逃げるように小走りで傍をすり抜けて行く夫人を見送ったサラトガは、ゆっくりとした足取りで歩きだす。先程キャメルが立っていた扉をノックし、中へ入る。
「何を議論しているのです?」
 机を介して向かい合う夫と息子に、サラトガは不快げに呟く。
「外で立ち聞きされていることもわからないなんて、どういう耳をしているの」
「立ち聞き?」
「そうですよ、全くあの嫁は……」
「キャメルが!?」
 ガタッと音をたてて立ち上がったダンヒルは、部屋の外へと向かう。その背中にダビドフ――
「わしは認めてはおらんからな」
 父親の声を背中にダンヒルは逃げるように出て行った。扉が閉まるのを確認して、サラトガはダビドフに向かう。
「どうするつもりです?」
「どうするも何もないわ」
「追い出す、ということですか?」
「こちらから動かずとも、いずれそうなるであろうよ。所詮は田舎の……取るに足らない、ただの子供だ」
 軽く失笑してダビドフは立ち上がる。サラトガは部屋の扉を開け、夫を先に部屋から出し、その後に続いた。階段を降りて、一階にある食堂へと向かった。




 ミュリエルに誘われ辿り着いた階下の大食堂。開放されている扉をくぐると、長い長方形のテーブルにはすで二人の人物が席に着いていた。
 ダビドフとサラトガ。祖父母は、ファインの存在を無視するように、近くの使用人に声をかけている。
(うわ、なにそのわざとらしいまでの態度っ)
 目には見えないそのバリアに少し躊躇したが、ここで負けては女がすたる! とばかりに胸を張り、部屋の中へとと進み入る。中央に置かれたテーブルには、布地の厚い真っ白なクロスが掛けられている。床すれすれまで届くたっぷりとしたテーブルクロスである。五人分の食器がセットさている中、横に並んだ祖父母の、ファインから見て左側に座っているサラトガの正面側の席に着いた。
「……フン」
 ダビドフから舌打ちともとれる声がもれた。
 いぶかしげにファインが目を向けると、不機嫌そうな顔をした祖父母がこちらを見ていた。
 ひょっとするとどの席に座るかどうかを試されていたのだろうか?
(あたしだって当主が座るのが上座だってことくらい、教わらなくたって知ってるわよっ!!)
 怒りの形相を見られないように俯く。曇りひとつないナイフとフォークが、皿をはさんで対称に並べられている。料理ごとにナイフとフォークを代えて食事をする作法は知っているし、そういった食事をしたこともある。だがそれは外の値のはる場所での食事であって、しかも一年に一度あればいい方なイベント的要素の強いもの。間違っても自宅の夕食では行なわないものである。まあ、やろうと思えばやれないことはないが、後で洗うことを考えるとやる気は失せる。手間だし、不経済。
(これだから金持ちは……)
 テーブルの中央には、大きめの受皿の燭台が二つ。それぞれに三本ずつ立っているロウソクにはすでに灯りがついている。大陸のどんな場所でも変わることのない炎をぼんやりと見つめているうちに、ダンヒルが夫人キャメルと共に姿を現した。
 それを合図とするように、控えていた給仕達がそれぞれの前にスープを並べはじめる。祈りの言葉と共に、なにやら緊迫した晩餐が始まった──



 広い部屋でナイフと皿の音だけがカチャカチャと響く。燃える暖炉に暖められた部屋の空気は重苦しい。表面的には穏やかな体裁を整えてはいるものの、そこから放たれる気配は針の如くファイン向かって突きささる。
(痛い、視線が痛い……)
 俯いてひたすら食事に専念することにしたファインだが、どこか居たたまれない。顔を上げるのが怖いくらいの悪意がどこからか飛んできている。
 苦痛の時間だ。
 ファインの前にメイン料理が並んだ。
 白身魚のフライに千切りにした玉葱と人参が添えてある。レモンの風味が生きたドレッシングソース。 お上品に普段の三分の一ほどの大きさにナイフを入れ、頬ばった瞬間、目をみはる。
(なにこれ、めちゃくちゃおいしいっ!! 全然青臭くないし、身がすごい柔らかーい。うわ、すごーい。こんなの食べた事ない。さすが白身魚の王様ジャルムだわ)
 悪意の視線そっちのけで、目の前の魚料理に没頭し始めた。
バージニアのような山間の町では魚が手に入りにくい。無論、雪溶け水が流れ込む小さな川や子供達の遊び場である池だって存在するので、魚が皆無というわけではない。しかし川魚の種類などは数がしれているし、陸揚げされた魚がバージニアにまでやってくる頃には、鮮度に欠けている状態が多い。故に、一般の食卓に並ぶ機会は少ないのである。
 上機嫌でデザートを食べ終え、紅茶をすすっていた時、ついにダビドフが口を開いた。 「おまえは何故ここに居る」
「…………?」
「おまえの母とやらに会った事は無いが、所詮田舎の、どこの生まれとも知れぬ女。ダンヒルが何を言ったかは知らんが、よくもぬけぬけとやって来れたものだな」
「ち、父上っ」
「おまえは黙っておれ!! わしはこの娘に訊いておる!!」
 ダンヒルを一喝し、再びファインへその視線を向ける。
「どうなのだ、バージニアといえば荒くれ者の町ではないか。何故こやつが父親と言える? どうせ都会の貴族が父親を名乗ったのをいいことに、是幸いと出てきたのではないのか? おまえの母親とて所詮遊廓の売女と大差な──」
 ガタッ。
 我慢出来ずに立ち上がる。勢いで椅子が倒れたが、それを咎める声は聞こえなかった。
誰もが息をつめ、ダビドフとファインを見つめる。
「──たしかに私は取るに足らない田舎娘です。先日まで父の所在すら知りませんでした。証を立てろと言われたとしても、私にはそれをする方法はございません」
 テーブルに手をついたまま、下を向いていたファインは、そこでダビドフを見据えた。炎の揺らめきを受けて、澄んだエメラルドの瞳が燃える。
「しかしながら母の事だけは聞き捨てなりません。会ったことのない──よく知りもしない相手の事を見下す権利はあなたにはないはずです。私にとって母は絶対なる存在、ネフェル神にかけて誓います」
 身じろぎする者すら居ない空間で言葉を綴る。
「何故来たのかと、あなたは問いました。理由は一つ。私自身の身の証をたてる為です」