グラナディア 第一章
第一章 貴族の娘
4.新たな気持ち
最悪。
うつぶせにベッドに突っ伏して、ファインはうめく。
最悪、最悪、最悪最低!! ああ、もう。あたしのバカッ!!
ふわふわの枕に顔を埋め、両足をバタつかせて胸中で絶叫する。
ダビドフの挑発についついのってしまった。母親の事を言われた途端、自制心が素っ飛んでしまったのだ。
(あのじじいめっ。こんな場所でなけりゃ叩き斬ってやるところよっ!! あぁ、でも……)
こんな場所であんな醜態をさらしてしまったのは、軽率以外の何物でもない。
啖呵をきって食堂を出てきたのはいいが、ファインは猛烈な後悔に苛まれていた。
せっかくうまくごまかしてきたというのに……、ああ、バカだあたし……。
何十回目かの自己嫌悪にはまっていたファインの耳に、小さくノックの音が聞こえた。
「……どうぞ」
ミュリエルだと思って、突っ伏したまま返事をしたが、あわてて起き上がり、しわになったスカートを手で直す。
「何でしょうか、奥様?」
静かに入ってきたキャメル夫人に問いかける。キャメルはそのまま歩いてきて、ファインの隣に腰かけた。
食事の時、右側に座っていたのだが、その時は視線を向ける余裕がなかった。その為、キャメルの顔をじっくりと見たのは今が初めてである。
たしか彼女の年令は三十の後半に手が届くあたりだったように記憶している。しかし実際のキャメルは随分と若く見えた。綺麗な肌、膝に置かれた手にも皺が見当たらない。
出かける時は日傘持参で馬車で移動。自分で家事をすることがない手。良家のお嬢様で育つとこういう大人になるのだろう。
降り注ぐ太陽の下、夏場に至っては動きやすい短い丈のスカートをはいて、山や高原を馬に乗って駆けまわっていたことをファインは思い出す。年とるとしみやしわが消えないのよねぇ、と雑貨屋のおばちゃんはぼやいていた。お嬢様のような生活をしていれば、きっとキャメルのような美しさを保てるのかもしれないが……。
そんなことをぼんやり考える時間があるほど、キャメルは何も言わなかった。
(何なのよ、一体)
食堂での諍いが元で、追い出すという話にでもなったのかと思ったが、そうではないだろうと考え直す。
もしも出ていけというのならば、キャメルに仲介させるような真似はせず、直接ダビドフ本人が来る。あの祖父はそういう性格だろう。それに、祖父母とキャメルの仲はあまり良好には感じられなかった。
「この部屋……」
「はい?」
「この部屋、どうかしら? 気に入ってくれたかしら?」
「え、あぁ、はい──素敵です」
必要以上のフリフリレースがなければもっと。
ふいに声をかけてきたキャメルだったが、一声発したのをきっかけに細々と喋りはじめた。
「この部屋、ね、あの人が娘──あなたの為にって、用意させたのよ」
「そうですか」
「私達には子供がいなくて、だから──」
「私を引き取った……」
「ダビドフ様はああいうお方だからあんな風な言い方なさっているけど、あの方はウインストン家の事を誰よりも思っていらっしゃるんだと思うの」
「…………」
「だから、あなたも、あまり深く受け止めないで。あなたのお母様、とても素敵な方だって私も伺ってるわ」
「奥様……」
そう言って、夫人は弱々しそうに微笑んだ。
この家に来て、ミュリエル以外にこんな風に親しくしてくれたのはキャメルだけだ。夫の庶子に対して複雑な気持ちがないわけではないだろうに、どうして声をかけてくれるのだろう?
おやすみなさい、とキャメルが出ていった後も、ベットの端に腰掛けたままボーッとしていた。
明かりを消した部屋は薄暗く、カーテンを開けたままのガラス戸から月明かりが射し込んでくる。導かれるようにベランダに出た。
庭が見えた。
視線をあげると街並。立ち並ぶ家の色とりどりの屋根は闇の中ではくすんで見える。一際高い尖塔――この市のシンボルの時計台が時を告ぐ鐘を鳴らした。静かに響き渡る鐘の音を聴き入るように、瞳を閉じて耳を傾ける。
今日はいろいろあって沈んでしまっている。なんだかあたしらしくないじゃない。
鐘の音が終わると共にゆっくりと開けたファインの瞳には、いつもの生気が戻っていた。
(今日は今日。明日は明日よ!)
大きく息をして部屋へ戻る足取りは軽く、沈みそうなベットにうずもれてファインは眠りについた。
あんな奴らに負けたらあたしの名がすたる。何のためにここに居るのか、忘れてはいけない。
悩むのはやめよう。
おやすみなさい、母さん──