グラナディア 第二章
第二章 社交界デビュー
1.ショッピング
リンゴーンと厳かに響く朝の鐘の音や、朝から気合いの入った服とセットされた朝食にもなんとか慣れてきた。とはいえ「金持ちって信じられない!」と思うことは幾つも存在し、その生態については飽きることがない。
その日も朝から暖かいスープとフレンチトースト。その上にマーマレードをかける父の姿に恐怖をおぼえつつ、静かに食事をする。
静かに──といえど、ファイン以外の四人は軽く談笑などしているわけで。ミュリエルなどに言わせると「皆、大人げないわ」ということになるのだが、その大人げない大人達の態度は相変わらずだった。
初めて来た日の夕食、派手にやらかしたファインは、翌日の朝どういう態度とられるの実は内心ドキドキしたのだが、祖父はといえば何事もなかったかのようにじろりと一睨みしただけで、結局何の言葉も発しなかった。それより父の方が狼狽え、変に取り繕った態度などをとって、見ているファインの方が呆れてしまうほど。
ダンヒルはダンヒルなり、ファインを祖父母に気に入らせようという気持ちなのだろうが、ありがた迷惑というやつである。
さて、そんな朝食の図。ダンヒルがファインに声をかけた。
「ファイン、どうだ? 身の回りに足りない物はないか?」
「いえ、お父様。今のところは大丈夫ですわ」
「田舎者には手に余ろうて」
「ち、父上っ」
「もったいのうございます」
ダンヒルは狼狽え、ファインはすまし顔で答える。ダビドフのそんな言葉は日常茶飯時で、それに対していちいち反応していて神経がすり減るだけ。軽くあしらうことをファインは覚えた。
「そうだファイン、少し外へ出てみてはどうだ? この辺りも見てまわりたいだろう?」
「えぇ、それは」
祖父母と一緒にいる時間を少なくさせる為なのかはわからないが、父の言い出した外出には心を動かされた。
この家に来て、屋敷と庭の散歩ぐらいしかしたことがなく、外へ行く機会がまるでなかったので、正直つまらなかったのである。勝手に出歩くわけにもいかず、金持ちの令嬢の窮屈さには飽き飽きしていたファインは、うれしそうな表情をなるべく隠し、微笑みを浮かべて答えた。
「私も街を見てみたいと思っていたのです。うれしいですわ、お父様」
「そうか、私が付き添うこと出来ないが、ロスマンズを付ける。ゆっくりして来なさい」
「ありがとうございます」
机の下で小さくガッツポーズをつくりながら、ファインは軽やかに微笑んだ。
「なんだかとっても手持ちぶさたな感じがする」
「どうして?」
「だって何も持ってないんだもの。普通買物っていうと籠と財布を持つものでしょう?」
「お嬢様にそんな物持たせられるわけないでしょ?」
「わかってる。だから手持ちぶさたなんじゃないの」
着飾った外出用の服を見下ろして溜め息ひとつ。何もかもが窮屈だ。これでも御供を何人も付けようとするのをふりきって、ミュリエル一人にしてもらったのである。ただでさえ肩がこるというのに、ぞろぞろ付いてこられたら息抜きにもなりゃしない。
(気ぃきかせるんならちょっとは考えてよね、あの親父っ)
小声で悪態をつくファインとそれを笑うミュリエル。
ロスマンズが御者台に座ったのは、彼なりの気遣いなのかもしれない。
そんな風に思っていると馬車が止まった。
今度は手を借りて降りて、ファインは改めて周りを見る。
十字街道へと繋がるここメンフィス通りには、同じような馬車が幾つも止まっている。乗り合い馬車の詰め所も近くにあるらしい。大きな商店が所狭しと並び、見るからに貴族な人達が荷物持ちを従え闊歩している。
馬車をそこで待たせて、ファインはミュリエルと歩きだした。
「まずどこに行く?」
「そうは言っても、見当もつかないわ」
「そりゃそうか」
ミュリエルは少し考えてから言う。
「服とアクセサリー。もうすぐ舞踏会もあるし」
「服って……、たくさんあるじゃないの」
「今の流行を追うことが大事なのよ。ちょっとでも古くさい型を着てたら笑い者よ!」
「……まかせるわ」
げっそりして呟くファインだが、久しぶりの外の空気はいいものだった。
太陽の光を身体に浴びる、そんな当たり前のことがこんなに気持ちのいいことだったなんて。
日傘をささずに歩く婦人はファインくらいのものだったが、当の本人はスキップでもふみそうなくらい陽気だった。
「そんなに楽しい?」
「へ? なんで?」
「顔に書いてるわよ」
「そっ、かな……」
おもわず頬に両手をあててしまう。確かに少し浮かれすぎたかもしれない。気をひきしめないとね。
一件の店に辿り着き、ミュリエルに引かれて店内に入る。
店の従業員に見立ててもらった“流行”のドレスとやらは袖のないデザインのドレスで、付属の長い手袋と同じ色の薄絹のショールをかけるようになっている。三点セットにして計三ゴーラ。値段を聞いてファインがのけぞったのは言うまでもない。
その後他の店でドレスに合わせた靴を買い、またアクセサリーの専門店では、亡くなってもなお人気を誇るケーレス=マグレシアのアンティークにして一点物の銀細工を買った。これもまた血の気を引く値段であった。
その他、何件か店をまわり買い物をしたのだが、それについて一言「心臓に悪いわ……」と呟いたファインである。
しかし周りの人達──ことさら老執事ロスマンズにとって心臓に悪いことが起こったのは、その後のことだった──