グラナディア 第二章
第二章 社交界デビュー
2.再会
「ファイン?」
戸惑いに満ちた声が聞こえたのは、オープンカフェでティータイムをしゃれこんでいた時。
貴族のような上流階級の人があまり訪れない、一般階級の民がよく利用するというカフェ。ミュリエルが「ここのアップルパイが絶品だ!」と言うので食べに来たのである。
大口をあけてかぶりついた時に名前を呼ばれ、振り向くと一人の青年がいた。
「おまえ、なんて顔してんだよ。変わってないよな」
「……ファイン、誰? 知り合い?」
「わ、わかんないわよ」
ぽかんと開けていた口を閉じ、パイをのみくだしてから、もう一度青年を見る。
ネイビーブルーの髪と琥珀色の瞳、帯剣している長身の青年だ。
「──おい、ファイン」
「どちら様ですの?」
「ですの? って、おまえ」
「どこかでお会いいたしましたかしら?」
「本気で覚えてねーのかよ」
眉をひそめ、軽く下唇をかむ。その仕草に記憶の海から一つの名前が浮かびあがった。
「……ラーク。ラークなの?」
「そうだよ、ラーク=キャベンデッシュ。信じらんねー、本当に忘れてただろ」
「あはははは、ジョークジョーク」
「嘘つけ」
ラーク=キャベンデッシュ。バージニアに住んでいた四つ年上の幼なじみだ。
そもそもは両親を亡くしたラークがバージニアへやってきたのが始まりだった。その頃すでにガキ大将であったファインと勝負をして勝利したことで皆に認められ、住むようになった。だが、五年前に剣士を志してマテリアルの武術測定所へA級試験を受けに行ってしまったのだ。
「どうしてウインディアにいるのよ。マテリアルに行ったんじゃなかったの? せっかく皆でカンパして送り出してあげたってのに、まさか騙したの!」
「騙してなんかないって。ちゃんと行ってA級取った。皆のおかげだ。感謝してるよ。今はこっちで私設の傭兵団に入ってるんだよ」
「そうなんだ。あたしは、ね──」
「知ってる」
「え?」
「この間、たまたま近くまで行く用事があって、久々に里帰りしたらフレイクが教えてくれた」
「……そう」
「おばさん、残念だったな」
「──うん」
「まあそんなわけでさ、どっかで会えるかなーって思ってた矢先にのんきに茶なんて飲んでんだもんなぁ」
「あたしの勝手! 紹介するね、この子はミュリエル。で向こうに座ってるのは執事のロスマンズさん」
呆然としていたミュリエルはあわてて頭を下げた。
「どちらに所属されてるんですか?」
「バーンズ家。最近有力になったって聞いてるけど」
「そうですね、当主がかなりのやり手だとか」
社会の情報収集を始めたらミュリエルは長い。短い付き合いながらその事はよくわかっているファインは、ぼんやりと外を眺めていた。
一般道とはいえさすが都会。
田舎町とは比べものにならない広さがある。昼下がりという時間帯のせいか、人通りはそれほどでもないのだが。
道行く人も洗練されているし街も整備されている。
右の奥の方からやって来た人に目が止まる。十二、三才の少女と多分その弟だろう。辺りをキョロキョロと見ている少女と、ちょろちょろと走りまわり、はしゃいでいる男の子だ。お使いにでも来ているのだろうか、都会の雰囲気に少しそぐわない、おどおどした印象を受ける少女だった。
(あたしだって似たようなものだったのよね、ウインストン家に入らなければ)
もっとも貴族という枠に属したからといってそれがいい事だとは思えない。綺麗な服を着て、宝石と装飾に囲まれて、女の子ならばきっと誰だって一度はあこがれる境遇だろう。だけど、青い空の下で自然と共に笑って暮らすことに幸せを感じる人だっている。人には相応という言葉があるのだ。
(あたしは──、あたしは結局、自然を捨ててしまったんだわ。あの窮屈な家で暮らすことを選んだ……)
他に道がなかったというのは言い訳にすぎない。本当に嫌なら逃げ出せばよかったのだ。それをしなかった、それは結局一人で生きていく勇気が持てなかっただけだ。
一人前の年令に達したとはいえ、自分はまだ子供じみているのかもしれない。
ぼんやりと考えながら表通りを見ていると横道から大柄な男達がやって来た。昼間だというのにもう一杯やっているのか、皆一様に顔が赤い。酔っ払い特有の大きなダミ声が一帯に響く。
ご大層な剣を身につけた男が後ろを振り向き、威張り散らした声をあげている。
(冒険者っていうより、ただのチンピラじゃない)
ああいった手合いはバージニアにはゴロゴロしていた。
大体皆、行動は同じである。
酔って、からんで、暴れる。
そしてからむ相手は女性だし、因縁をつける相手は子供だった。自分の思い通りにならないと暴れるのだ。
(どこにでもいるのよね、ああいう馬鹿)
酔っ払いの一団は、我がもの顔で往来を歩き始めた。そしてあの姉弟の弟が、彼らの一人にぶつかった――
「ああ、何しよんでやこのクソガキャー」
「おぉ痛ぇー。足が折れてたらどーしてくれんだよ」
「大丈夫かー? おいガキ、どーしてくれんだよ」
「まあ、モリスよぉ。この姉ちゃんに話つけてもらやーいーんじゃねぇ?」
口々にわめきたて、二人を取り囲む。弟を抱きしめ、真っ青な顔で少女が震える。
「す、すみません。あの、わざとじゃないんです」
「聞こえねーよ」
「俺達を誰だと思ってやがんだ!? ここいら一帯を占めるパルタガス家のお抱え用心棒だぜ?」
「知らないじゃーすまねぇよなぁ」
少女は今にも倒れそうなくらいに蒼白だった。五人の男達が怖いのか誰もが避けて通り、目をやろうものなら「ガンたれてんじゃねーよ、やる気かオラァ」とすごまれて逃げ出していく始末だ。
紳士然とした男性はまわれ右で逃げ出し、女性達は近くの店に逃げ込んでいく。
助けを求めるように辺りを見る少女に救いの手を出す人は一人もいなかった。
カタ……
何も言わず静かに立ち上がったファインは立てかけていた日傘を手にしてゆっくり歩きだした
「どーするよフィリップ」
「そーだなモリス。とりあえず場所変えるかぁ?」
「ゲヘヘヘヘ」
「ヒャハハハハ」
下品な笑い声をあげ、少女の腕をつかんで引っ張り立たせた時、男の腕を細い小さな手がつかんだ。邪魔をされた男が小さな手の主を見る。
ギロリと睨みつけた目が戸惑い、そして野卑じみた表情に変わった。
「なんでー姉ちゃん。あんたも一緒に来たいのかぁ?」
「おお、なかなかの美人じゃねーの。モリス、連れてって欲しいってんだ。美人の頼みを断っちゃいけねーよなぁ」
「おあいにくさま。あたしの理想はウィーン山脈より高いの。あんた達みたいなゴロツキはお断わりよ!」
すました顔で答えるファインに、男達の顔に朱がさしますます赤くなる。男の手がこちらへの怒りでゆるんだすきに少女を引き離し、うしろへ逃がす。
「……でもあなたが」
「平気だから、弟さん連れて早く行って」
「でも」
「いいから、早く!」
頭を下げてその場を離れたのを目の端で確認し、男達を見据える。
「いい度胸だなぁ小娘、ただで済むとは思ってねーよなぁ」
「泣いて謝まんなら今のうちだぜぇ。俺達は心の広〜い男だからなぁ」
「違ぇねー」
「ギャハハハ」
笑い合う五人の男。日傘を軽く握り直しながらファインは微笑んでみせる。
「あら、心の広い男はあたしも好きよ。でも頭の軽い男は嫌いなの、あと下品な笑い方する奴も」
「な、なんだと!?」
「人が下手に出てりゃ好き勝手言いやがってっ」
「あら、怒るってことは自覚があるってことかしら? 少しは頭も使えるのね」
「このアマァ!!」
怒りに顔を歪ませた男が一人、ファインに殴りかかった。