グラナディア 第二章

 
第二章 社交界デビュー


3.ファインファイター



 街道の向こうで諍いが起きているのは気づいていた。
 しかしまさかファインがそこに行くとはミュリエルは思いもしなかった。
「やだ、ちょっとファイン」
 あわてて止めようとする肩をラークが押さえる。
「何するんですっ、あなたも剣士なら早くファインを止めてくださいよっ!」
「たしかに俺は剣士だけど、出ていくつもりはないよ」
「な……、どういうつもりですか! あなたもあんな奴らが怖いんですか!?」
「っていうか、俺が出る幕はないってこと」
「はぁ!?」
「心配ないよ、ファインなら」




 ゆでだこのような顔で殴りかかってきた男の拳を半歩さがって躱す。空振りをして、勢いを殺せず前のめりになった男の後頭部に肘鉄を叩きこんだ。「ぐえぇ……」とひしゃげた声をだし、男はそのまま地面に沈む。
 わずか一瞬の出来事だった。
 残り四人の男達は呆けて固まっている。
「いきなり殴りかかるっていうのは下品よ、ねぇ?」
 何気ない口調で、倒れた男の手を軽く踏み、日傘を肩にしたファインが男達に問いかける。小首をかしげるその仕草からは、数秒前に男の拳をかわしたことなど想像もつかない。
「あたしは心が広いから、これで許してあげる。怪我しないうちでよかったね、おじさん達」
「なっ……」
 四人のうちの一人がファインの言葉に反応し、肩を怒らせた。
 彼女の目の前へやってきて胸ぐらを掴み、顔を近づけて声を低く脅しつける。
「このアマ、いい気になってんじゃねえぞ」
「ちょっと、その酒臭い顔近づけないでよ、汚いなぁ」
「て、てめぇ!!」
 逆上した男が腕を振り上げ、力まかせに振りおろす。
「……ワンパターン」
 ぼそりと呟いて腰を落とし、男の足に蹴りをいれる。男がふらついたと同時に、持っていた日傘を持ちかえて相手のみぞおちを突く。腹を押さえ抱えこむ男の隙だらけの首すじに日傘を振りおろし昏倒させた。
 それを見た残り三人は、さすがに相手がただの少女ではないと気づいたようだった。
 血相を変え出てきたヒョロヒョロとした男を押さえ、仲間内でモリスと呼ばれていた男とフィリップと呼ばれていた男二人がファインを睨み、腰を据える。どうやらこの二人がリーダー格のようだった。
(どっちにしたって女の子相手に三対一は卑怯よね)
 ファインを囲むようにじりじりと位置を変え始めた三人の動きを横目で確認しながら胸中で呟く。
(ま、この程度の連中、束になってかかって来ようと──)
 三方から同時に向かってきた刄を高く跳躍して躱す。ヒョロ長の男の肩に手を置き、その頭を飛び越える。
(──たいしたことないわね!)
 日傘を構え、不敵に笑った。





 少女の行動に逸早く反応したのはモリスだった。長剣で斬りこんでくる。
 どこからか小さく悲鳴が聞こえた。乱闘の様子をうかがっている人達だろう。
 故郷において町中でケンカなど珍しくもなんともなかった。この程度の連中ならばたいした問題ではないが――
(エモノが日傘ってのがね……)
 斬撃を受け止めながら考える。
 男の剣はなかなかよく手入れされているようだった。用心棒というのも決して嘘ではないのだろう。重心を巧みにそらしながら剣を受け止めてはいるが、さすがにもう限界点だ。
 何か別の物を探して周囲に目を走らせる。棒一つ落ちていない。
(これだから都会って嫌よ! これじゃいざって時、対応できないじゃないのよ!)
 勝手なことを絶叫しながら、日傘をモリスの剣の根元に当て振り払い、剣を弾き飛ばす。
 モリスの剣が飛んだと同時についに日傘は崩壊した。残骸を相手の顔めがけて投げつけ、落ちている剣を取るためにダッシュする。
 そうはさせじとフィリップが走り、わずかな差で長剣を取る。刄先をファインに突きつけニヤニヤと笑ってみせる。
「さあて、どうして欲しい?」
 顔を押さえたモリスとヒョロ長男がフィリップのうしろに立ち、同じような薄笑いを浮かべ、ファインを見る。
「何もしてくれなくて結構よ!」
 言葉よりも早く男達の脇をすり抜けて前方へ走る。
 ファインがいたオープンカフェの前。
「ファイン!」
「サンキュ」
 ラークが投げてよこした剣を右手だけで受け取り、向き直る。
 こちらに向かってくる三人。
 瞳を輝かせ、ファインは言い放つ。
「あんた達、タダじゃすまさないわよ。覚悟なさい!」
 キラリと陽光を反射させ、刄がきらめいた。



 ラークの剣を、こちりを振り向きもせずに受け止めたファインは、再び戦いに戻っていった。
「…………」
「言ったろ? 大丈夫だって」
 呆然としているミュリエルに、ラークが気楽そうな口振りで話しかける。
「強いよ、あいつは。俺らの田舎じゃ有名だよ。たいがいのガキはビビって逃げてたな。おかげでバージニアは平和平和」
「有、名、だったんですか?」
「ああ、金が無いから上級は取ってないけど、強さでいえばA級クラスだよ、ファインは」
「え、A級!? 女の子なのに!?」
 ミュリエルが驚愕の声をあげる。
 剣については詳しくないミュリエルでも、傭兵となれる最低レベルがB級資格であることぐらいは知っている。並の男でも大変な資格を、この一見お嬢様然とした少女が有しているというのか。
「君、たしかコロネラの出身だって言ってたよね。だったら知ってるんじゃないかな? あいつの通り名」
「ファインの、通り名?」
 眉をひそめて考えをめぐらせる。
 顔をあげると、ファインの空色の髪が踊っている。この辺りでは珍しい白い肌と鮮やかな緑の瞳……
 ふと、何かが頭をよぎる。
 昔、村に居た頃の事だ。
 近所の男の子達──付近では手がつけられないほどだった男の子達が畏怖をこめて語っていた、同い年くらいの子の話。
 空と緑をその身に宿した化け物──と。
 一度その手にエモノを握れば悪魔が降臨する。
 何十もの相手をたった一人でなぎ倒し、哄笑をあびせるその人物は、一見するとただの少女。空色の髪と緑の瞳を見つけたら、決して逆らってはいけない。その人物の名は──
「ファ、ファイン・ファイター……」
 震える唇からその恐怖の名前がこぼれた。
「フンッ。バージニアのファインをなめんじゃないわよっ!」
 地に伏した男達を見下ろし剣を突きつけたファインが宣言したのは、そんな時だった。






「サンキュ、ラーク」
「おう」
 何事もなかったかのように戻ってきたファインに、ラークが軽く片手を挙げて応じる。ラークが鞘を放り、受け取ったファインは剣を収める。
「珍しく手間どってたな。どうしたんだよ」
「石畳の上じゃ目潰しになる土が無いんだもの。出だしにしくじったわ。おまけに棒きれ一本落ちてないんだもん、やりにくいったらありゃしない」
「バージニアと一緒にすんなよ」
 口をとがらせて子供のようにすねるファインを見て、ラークが笑った。そんな彼に対して小さく舌を突きだしていた少女が、ふと気づいて言う。
「ミュリエル、大丈夫、顔色悪いわよ?」
「……え!?」
 ビクッと身体を震わせてファインを見るその瞳に怯えの色を見て、ファインは心配して見つめ返す。
「恐かった? 大丈夫よ。あんなゴロツキ何人来たって問題ないって」
 明るく笑ってみせたのだがミュリエルは変わらない。さすがに不審に感じてラークに尋ねた。
「何かあったの?」
「おまえ、コロネラの連中になんかしたのか?」
「へ?」
「おまえの例の名前知ってるみたいで、すっかりビビってるみたいだな」
「例のって……、アレのこと?」
「そうそう」
 嫌そうに顔をしかめるファイン。続けてラークが言う。
「迫力あるよなぁ、ファインファイター(破壊する者)は」
「皆が勝手につけたんじゃない。あんたに言われたくないわよ、ラークスレイヤー(滅びを与えし者)!」
 はたで聞いていたミュリエルは尚も仰天する。
 ラークスレイヤー。
 ファインファイターと並んで噂された剣使いの名だった。
(あぁ、あのバージニアの二大悪魔に会っちゃったのね……)
 完全に血の気を失っているミュリエルに、二人はあわてて言い訳をする。
「俺はファインを止める役だったんだよ」
「違うわよ、あたしがラークの暴走を止めてたんじゃないの」
「よく言うよ。ドラムの店崩壊させたの誰だと思ってんだよ」
「喧嘩を売ったのはラークだったでしょ!?」
「それとこれとは話が別だろ?」
「責任転換しないでよね!」
 延々と応酬する会話──というか、もはや口ゲンカ。どれもこれもがすさまじい武勇伝。
 言い訳は、すればするほど深みにはまっていくことに二人が気づいたのは「どちらが町に来た冒険者の骨を多くへし折ったか」を論争しおわった後のことだった──



 どうやって誤解を解けばいいのやら……。
 気まづい思いでラークを見ると目が合った。お互いが「何か言え」という視線を交わす。
 沈黙を破ったのは、いい匂いのする紅茶だった。
 顔をあげると、エプロンをつけたこの店の主人がいた。
「頼んでないですけど……?」
「おごりだよ。やるね、お嬢さん」
 主人はそう言ってテーブルに紅茶とケーキを置き、手近な椅子を引き寄せて座った。
「あいつらは最近よくうろついててね、ここいらではちっと困っててね。何とかしなきゃって思ってたとこだったんだ」
「そう、ですか」
「はじめはびっくりしたよ。いやでも、おそれいったな」
 ガハハと豪快に笑う主人。
その雰囲気にようやくミュリエルの気持ちも落ち着いたようだった。「ゆっくりして行きな」と奥へさがった主人を見送って呟く。
「私もびっくりだよ、ファイン」
「ごめん」
「謝ることじゃないよ。驚いたけど、まあ納得かな?」
「なにが納得?」
「タダ者じゃないってトコ」
 ミュリエルは笑ってそう言った。
 新しい紅茶とケーキでティータイムを過ごし、帰ったラークの分まで二人でたいらげた後。
 帰ろうと席を立ってから、二人は老執事ロスマンズが気絶していた事に気がついたのだった──