グラナディア 第二章

 
第二章 社交界デビュー


4.舞踏会の夜



 輝くシャンデリア。
 キラキラする光が広間全体を照らしだす。
 幾つものテーブルが並べられ、数々の料理が銀色の食器から湯気を立てている。少なくなった料理の入れ替えをする為、人の波を縫うように給仕達はワゴンを押し歩いている。
 色鮮やかなドレスの数々。髪をアップにまとめ、輝く細工で止めている女性達がうごめいている。
 おしろいと香水の匂いに、ファインは入口から中に入ることを躊躇していた。
「ファイン?」
「うん?」
「大丈夫……?」
「──あんまり」

 ミュリエルの言葉にもろくに返事が出来ないくらい、その雰囲気に圧倒されていたファインである。
 今日行なわれているのはエクスポート家の記念パーティーだ。
 セーラムの三氏族に数えられているエクスポート、エスパーダ、スウィッシャーの一つであるエクスポート家は、一番の野心家といわれている。他都市はもちろん、他国へも勢力をのばそうとしていることで他の氏に頭一つ差をつけた感がある。
今日のパーティーも一体何の記念なのか、正確なところはよくわからない。だが、自らの権力を誇示することが最大の喜びである貴族達にしてみれば理由などどうでもいいのである。
男達は三氏族に媚をうり、女達は権力を持つ家の息子達に媚を売る。
 どこの社交場にも転がっている、当たり前の光景だ。
 そしてもうひとつ。
 険のある大量の瞳が貫く。
 向けられた先にいるのは、一人の少女。
 まだ見たことのない、噂だけが先走りしているウインストン家の少女に、様々な感想が飛び交う。
 感嘆と驚愕、そして羨望。
 新参者を値踏みする幾多の視線──顕示欲の強い者達がうごめくこんな場では、これもまたよくあることなのである。ことに相手が女性である場合、その視線は熱線にも相当する。
 長い髪をアップにまとめた今日のファイン。空色の髪にダイヤモンドの髪細工がよく映える。先日買ったパールホワイトの袖なしのドレスが色白の肌によく似合っていた。
(ミュリエルに感謝、だわ)
 チラリと周囲に目を走らせながら安堵する。
 情報通のメイドの言う通り、広間の女性達の大半が肩をだしたドレスを着ている。ただでさえ田舎者呼ばわりされそうな所で場違いなドレスなど纏っていた日には、これみよがしに笑い者とされたことであろう。
 前室に下がってしまったミュリエルに感謝の念を送りつつ、気合をいれる。
 この場において頼れるのは自分だけだ。挨拶まわりしている父などアテにはならない。第一、父親の影に隠れるような女には見られたくなかった。
 三氏族の主催だけあって出席者も多い。
 故郷の町民にも匹敵するのではないかという人数がうごめく広間。まず何をするべきなのだろうか? ゆっくりと歩きながら考えるファインに、一人の男が声をかけてきた。
「ミス.ウインストン?」
「──はい?」
 優雅な微笑みを浮かべて振り返ったファインはその男を見る。
 周りの人間と同類のタキシード姿の青年。二十歳ほどの──いかにも坊っちゃん顔をした軟弱そうな男である。
「君が噂のレディだね」
「私、そんなに噂なのでしょうか?」
「当然さ。あのウインストンに娘がって、一大センセーションを巻き起こしたんだからね」
「そう、ですか」
 たしかにあの男が余所に子供を作っていたなど、たいした事件だっただろう。厳格な祖父に押さえつけられ、そんな甲斐性があったなどとは予想もしなかったに違いない。
(──ってことは、当然この後バージニアのことを言うんでしょうねぇ……)
 顔の下で溜め息をつくファイン。そんな彼女を知ってか知らずにか、青年は続ける。
「今日のパーティーでは憧れの君に会えることを心待ちにしていたよ」
 淡いブルーの瞳を潤わせて微笑む。
「噂以上だ。その陶磁のような肌、そんな白いドレスを着こなすことが出来るのは君しかいないよミス.ウインストン。この会場において今夜君ほど輝きを放っている人はいないだろうね」
 歌うように呟く青年。
 かなりの部分で自分に酔っているようにみえるのだが、生まれもった雰囲気かイヤミにみえないのはさすがである。
「お誉めいただき恐縮ですわ、ミスター」
 早く切りあげたいと思いつつ、一応礼を返す。
 しかし青年の言っていることは、あながち間違ってはいないだろう。
 元来、ウインディア人は黄色人種である。北の高地、グレイゴルとの国境であるウィーン山脈の下で生まれ育ったファインは、平均的ウインディア人に比べると肌の色が白い。ウインディア中央付近に位置するセーラムにおいて、ファインの肌が際立って見えるのも無理はないだろう。
 加えて周囲の女性達は、赤や緑といった鮮やかな色合いのドレスを纏っている。黄色の肌では白いドレスを着ると全体的にくすんで見えてしまうからだ
 だからこそ、そんな中にいてパールホワイトのドレスを着たファインは異彩を放ち、なおかつ人を惹きつけている。単に人の目を惹くというだけではなく、彼女には何か周囲の物すべてを惹きこんでしまうような、不思議な力があった。
「ファイン」
「お父様……」
 熱っぽく語る青年の背後からやって来たダンヒルがファインに声をかける。
「皆に紹介するからこちらへ来なさい」
「はい、お父様。失礼いたします」
 腰を落として一礼しダンヒルの下へ行く。
 陶酔青年から数メートル離れた後、ファインはダンヒルに問うた。
「あの方はどういう御方ですの?」
「さっきの若者かね?」
「えぇ」
「たしかバーンズ家だったかな? あそこはエスパーダ家の傘下にある家でね。金があるだけの、どうということのない家柄だ」
 そしてファインの背に手をまわし、微笑みを浮かべる。
「今からエクスポートのビリガ様の所へ行く。ぜひおまえに会いたいそうだ」




 ここセーラムでは三大氏族がしのぎを削っているのは先に述べた通りである。
 そして貴族達はその三氏族の下につき、恩恵を得ることで家を発展させていくことも少なくない。
自らの力でのしあがることは非常に難しい。そんな道を進むよりは傘下となった方が早いのである。
 だがそういった行為を好まない者も存在し、全貴族がどこかの氏族の下にいるというわけでもない。中立の立場を掲げている家とてあるのである。
 さて、ファインのいるウインストン家はどうやらエクスポート家の下にいるようである。
たしかエクスポートの下には四大貴族がいる。
ウインストン、アルカポネ、カールトン、キャンデラである。
尤も、ウインストン家が傘下となったのはダンヒルの代になってから。当主の座に就く前から交流を持っていたようで、ダビドフなどはあまりいい顔はしていなかった。


「君がファインだね」
「お初にお目にかかります」
 ダンヒルに案内された先にいた男がビリガ=エクスポート、その人である。
 灰褐色の髪と藍色の瞳が印象的な紳士。五十代前半ときいているが、父と同い年といわれても納得してしまう、若さを感じる男だった。精力的な野心家と呼ばれるのもうなづける。
 父が去り、主賓席に一人座らされ料理を勧められるも、さすがのファインも緊張して喉を通らない。冷たい果実酒を含み、渇きを癒すのが精一杯だ。
 隣に座るビリガ氏から問われる事に言葉を返す。
 初めて訪れた社交の場、セーラムの印象、ウインストン家の事、そして故郷のこと。
「私もあの辺りの出身でね、バージニアもよく知っているんだ。のどかで、とてもいい所だ」
「そうですね、特に都会に住んでらっしゃる方などはそう思われるかもしれません」
「今でも冒険者は多いのかね?」
「ええ、それで成り立っているような町ですから」
 ビリガ氏は思い出したように問う。
「あの辺りには数々の伝承があるそうだが知っているかね?」
「一通りは。ですが、どれも想像の域を出ないものばかりですし……」
 冒険者が集まるだけあって、伝承には事欠かない。いや、伝承があるから冒険者が集まるというべきであろうか?
 どこかに英雄が残した宝があるとか、魔王を倒した武器が眠っているというものや、滅びた国の遺蹟の話、亜種族の国、神々の住まう地など。
 詩人がうたうサーガのような、夢物語ともとれる物も多い。
 亜種族に関していえば、まだ謎の多い人達で、未だ確認されていない種族の方が多いのではないかとも言われている。
彼らはウィーン山脈、ノルテ山付近、ジェラの森に住んでいるといわれているが、それも定かではない。それらは巧妙に隠されており、何らかの術やカギを持って初めて侵入する事が可能となるという。種族によってカギは異なり、入口も不確か。移動するともいわれ、それ故その存在に価値を求める者達は少なくない。
 万物を統べる力、不老不死、人類にとって究極なる力が眠っている幻の地──
 なぜファインがそんな事まで知っているのかといえば、勿論、町で噂として聞くものもあるが、何より母から教えられた事ね方が多かったのだ。
 一体どこで仕入れてきたのか、冒険者ですら知らないのではないか? という細かな話まで聞いて育った彼女は、吟遊詩人にでもなろうかと思ったほどである。実際、町に来ている冒険者に話してやり小銭を稼いだ経験もあったりする。
 報酬代わりに幾つか簡単な魔法も教わった。
 今考えてみるとそれは正規の手続きを踏んでいない教えではあるのだから、罰せられても文句は言えない。だが「バレなきゃいいじゃない」という絶対的信条が世の中にはあるのである。
 ビリガは熱心であった。  決してそうとは見せないが、瞳の奥に熱のこもった輝きがあることを少女は見逃してはいない。柔和な顔をして、いざという時には全てを冷酷に切り捨てられる――この男はその類の人間だと……
(他国へ侵入しようとしてるってのもわかるわね。セーラム程度の一都市を握っただけで満足するような奴じゃない。何かもっと、上を目指そうとしているみたい……)
 尤もそれとウインディア伝承にどういった関係があるのか、正直なところよくわからなかった。
 古代あった国の宝でも狙っているのだろうか?
 たしか遥か昔には大小幾つかの国がひしめきあっていたはずだ。この辺りはたしかアンファングという国があったはずだ。もう少し北に行った辺りにはフリューンドという国があったと聞いている。バージニアやコロネラなどはそこに含まれることになる。
 そういった国の隠された財宝の噂を聞き、それを目指しては惨敗していった冒険者達を何十人と知っているファインは、呆れ顔で男を見つめる。
 対して男の方はといえば、相変わらずの口調だ。次の矛先は少女自身に向いてきた。
「失礼だが、君の母上というのはたいした美女だったのであろうな」
「なぜ、ですか?」
「そなたは父上とはあまり似てはいないようであるからな」
 これは内緒だが、と付け加えて苦笑した。
(意外に気安いところもあるんじゃない、この人って)
 例えそれが自分の生まれのことを聞くきっかけにしたものであったとしても、その一言がファインの口のすべりをよくしたのは事実。
 控えめにではあるが話す。母のことを誰かに語るのは、思えば初めてかもしれない。ウインストンの中では初日の事件のせいもあってか、口にする者はいなかったから――



 音楽が変わった。
 周囲のざわめきに我に返る。
「どうやらダンスが始まるようだ。いつまでも噂のレディを引きとめておくと私の評判が落ちてしまいそうだな」
 これで終わりといった風でワインを飲んだビリガはファインを促す。
 言われるまま彼女も立ち上がり、
「すっかり長話をいたしてしまいました」
「こちらこそ、すまなかったね」
「いえ、ありがとうございました。ミスター.エクスポート」
 実際、この男がファインに親しく声をかけた時点で、貴族達は面とむかってこの少女を卑下するわけにはいかなくなった。それは三氏族への中傷ともとられかねないのだから、自らの身を危うくしようとする者などいるわけもないだろう。
 同じ仮面をかぶった貴族の群れがうごめく広間へと歩きだしたファインは一度足を止め、先刻までいた主賓席を振り返る。
「――ビリガ=エクスポート……か」
 小さくその名を呟いて、再び広間へ足を向けた。


「ファイン=ソブラニー……」
 少女の後姿に向けて同じように名を呟き、口元に笑みを浮かべた男がいたことに、ファインが気づくことはなかった。


 今は、まだ──