もしも、人の心というものが建物に例えられるのだとしたら、僕の心は築五十年くらいは経ってそうなボロアパートだろうと、そう思う。
しかもその中で一番日当たりのよくない六畳一間──、いや、逆に良すぎてツライ部屋かもしれない。
日当たりの悪い部屋に住んでる人には、贅沢だって罵られそうだけど、それなら実際に来てみればいい。西日っていうのは、あれで意外とやっかいなんだ。
ギンギンギラギラ夕日が沈む様をダイレクトに、かつ容赦なく目撃させられるのは、アレに似てると思う。ほら、刑事ドラマでよくあるじゃないか。強面の刑事がスチール机の上にあるライトを容疑者の顔につきたてて「吐け、おまえがやったんだろう」と凄む、アレだ。
でもこの部屋には、それを「まあまあ」といさめてくれる初老のベテラン刑事は存在せず、容赦ない陽射しはただひたすらに、僕を貫きつづける。まるで落ちつく間を与えないかのように。
そう。僕の心はいつだって落ちつかない。
気がつけば心の中には誰かが住みついているのだ。しかも入れ替わりがかなり激しく、どいつもこいつも他の部屋ではなく僕の住む六畳間に入り込んでくる。
言っておくけど、これは比喩じゃない。
さも「恋多きプレイボーイ」であるかのような誤解はしないでほしい。だって、僕の心に存在するのは、どこの誰ともつかない人ばかりだからだ。
「どこの誰ともつかないとは心外ね。それはこっちも同じだわ」
「だったら出てってくれよ」
「仕方ないじゃない、出られないんだから」
僕はオカマじゃないし、腹話術師でもありません。
頭がおかしくなったわけでもなく……、実際おかしいのかもしれないけれど、少なくとも頭の中に響いてくるこの声の主は、僕が生み出した妄想ではないのである。
っていうか、そのはず。
この声の正体についてはまた後で話すとして、そもそもの問題からまず説明しようと思う。
こういったものを世間的には霊媒体質とでもいうんだろうか。
ちょっと違う気もするけど、一番近いのがその言葉だと思う。イタコのように呼ぶわけでも降ろすわけでもなく、勝手にやってくる「誰か」は、何か言いたいことがあってやってくるわけではないらしい。気がついたら入ってたと、みんなが口を揃えて言うからだ。まあ、実際に口が動くのを見たわけじゃないんだけど。
どういった仕組みなのかはよくわからないけど、僕の中には気がつくと「誰か」がいる。
それは時間も場所も問わずにやってくる。
つまり、たとえトイレの中にいたとしても、来るものは来るのである。
以前、死んだばーちゃんがやって来たことがあった。お通夜の真っ最中だった。しんみりとした静粛な空気の中、親族だからということで横たわるばーちゃんの近くにいたら、いきなり頭で声がしたんだ。
「来てくれてありがとうねえ、健太や」
死んだ人間から――、しかもその葬式の主人公から歓迎を受けるとは、普通思わないよね。
結局その式の間中、近所の方々が神妙な顔をしてお経を聞いているのを見ながら、あそこに座っているのはどこそこの家の未亡人だとか、あそこで泣いているのは三軒先の宮本さん家の奥さんで普段は泣くようなタマじゃないんだよとか、あの、虫も殺しそうにないぐらい綺麗な顔をしてる奥さんは、実は旦那を尻にひいていて、夫婦喧嘩においては負け知らずであるとか。そういった話を延々と聞かされたのである。
お坊さんには悪いけど、お経なんて耳に入ってなかったし、説法よりもずっとばーちゃんの世間話の方が面白かった。笑いそうになるのを必死でこらえ(だって、笑えないじゃないか)、けれど運良くそれを近隣の方々は、「おばあさんの死を涙をこらえて哀しむ少年の図」と受け取ってくれたらしい。
でも実際その時の僕はといえば、そんな誤解をしてくださっている山上さんの奥さんが実はほにゃららだという事実に、笑いをこらえていたわけですよ。一応、山上さんの名誉のために伏せておくけど、あの人がまさかそんな、ねえ。
まあ、そういうわけで。僕はそこに住んですらいないというのに、ばーちゃん家の近所周りのことならば、そこいら住んでいる人よりもはるかに詳しくなってしまったのである。なので、あの未亡人が実は隣の旦那さんと浮気していることだって、僕はちゃんと知ってるんだ。
――こんなの、なんの役にも立たないけど。
僕のこういった症状を、両親は驚くこともなく、むしろ大歓迎している節がある。何故なら僕の父親は、自称「退魔師」だから。母親にいたっては、「ゴーストスイーパーとお呼びなさい」と、どこかの漫画にかぶれたようなことを堂々と宣言している。
そんなあやしい二人ではあるけれど、表向きは一介のサラリーマンと、パートタイマーの主婦。
曰く、それは世間の目を欺くための肩書きで、本業はあくまで「退魔師」なのだと豪語するんだけど、実際問題、それでお金を稼いでいるのかどうか、定かじゃない。それ以前に、この世界で本当にそんな仕事が存在しているのかどうか、あやしいもんだ。
僕は「こういう大人にだけはなりたくないな」と思いながら、こうして十四年の人生を過ごしてきているわけではあるけれど、人生っていうのはなかなか思い通りにはならないものだよね。
「ねえ、どうかしたの?」
ひょっとして怒ってるの? と、ちょっと頼りなく問いかけてきた声に、僕は答える。
「別に。今更怒ってどうにかなるもんじゃないしね」
「そうよね、私悪くないもの」
途端、ころりと声色が戻った。
女の子って、なんだってこう気分屋なんだろう。
あまり不平をいうと、それが五倍くらいになって返ってきそうだから言わないけど。
悟られないようにひっそりと呟くと、改めて考えてみる。
今、こうして僕の頭に聞こえている女の子のことを。
君はまるで微風のようにやってきて、僕の心に住み着いた。
そう言えば、クサい少女漫画じみているけれど、事実はそれにちょっと近いんだ。
ことの起こりは学校行事で行ったハイキングだった。
ハイキングというわりには、目的地までバスに乗って行くんだけど、とにかく小高い丘に登って頂上で遊びましょうという定番の行事があって。僕のクラスは、わりとそういった行事に積極的ではないタイプが揃ってて、他のクラスがレクリエーションなぞを行っているのを横目で見ながら、各人が好き勝手に散策するという「生徒の自主性を尊重」していた。
僕は僕で、風の向くまま気の向くまま。今にして思えばそれは「呼ばれた」っていうのかもしれないけど、とにかくふらふらと向かった先は開けた山の中腹。なんだか切り取ったみたいにそこだけぽっかりと木々が途切れてて、眼下には緑が広がっている。柵もなくて、落ちたらヤバイだろうなあっていうような場所。
周りには遮蔽物がないもんだから、涼やかな風が吹き抜けていてすごく気持ちがいい。なんていうか、宇宙船が降りてきそうな広さというか。宇宙に向けて交信してみたくなりそうな、空が広く見える場所だった。
思わず大きく深呼吸なんかしちゃったりもしてさ、そうやってすーっと息を吸い込んで、清らかな空気に満たされたーと思った途端に、頭で声がしたんだ。
「あれ、なにこれ。ここってばどこ? 私ってばなにしてるんだろうこんな所で。やーだーもう。っていうかねえ、あんた誰?」
それは決して初めてじゃなかった。
いきなりやって来た「誰か」が示す反応に非常によくあるパターンだったから、僕はわりと冷静に対処した。
かくかくしかじか。
つまりあなたは、僕の中に入り込んできてしまった「幽霊」のようなものなのです。性急にお引取りください。かしこ。
こういう時、手短にすっぱり説明するのがベストであるというのが、今までからの経験。変になだめすかそうとすると逆につけあがったりする。居座られるとやっかいだ。
だって、僕の心は僕だけで精一杯なんだから、余計な人を抱えこむ余裕なんて持ってない。たまにいるんだよね、居直り強盗みたいな人がさ。
僕は行ったことはないけど、死後の世界というのはそこそこに快適らしいですよ。
僕のばーちゃんはお盆には毎年帰ってきます。
生前から元気だったばーちゃんですが、死後の世界でもその明るさはどうやら健在なようで。
向こうでは、カルチャースクールに通ってるそうです。ええ、エアロビだそうです。
こんなかんじだよーって踊ってくれたけど、あれはもう「エアロビ」っていうよりは「盆踊り」にしか見えませんでしたけどね。
大体の場合、特に年齢が若ければ若いほど、こういった自体を理解してくれる率が高い。漫画とか映像媒体にそういうのって多いから、結構納得してくれたりもするんだ。面白がって離れてくれない場合もあるけど、そういう時は「せっかくの思念体だから空とか飛んでみたらきっと気持ちいいですよ」と提案して、なんとか出てもらうように仕向ける。
この程度の誘導ならばお茶の子さいさいへのカッパだ。
将来は詐欺師にでもなれるかもしれない。
声の調子からすれば、僕と同じか、ちょっと上くらいだろうと思う。やたら甲高い声でしゃべったりするクラスの女の子達とはまたちょっと違って聞こえたので、ひょっとしたらもう少し上なのかもしれないけど。
うろたえることなく僕はこちらの身分を明かした。
以前、名前を尋ねたときに「人に名を問うときは己から名乗るがよい」と説教を喰らったので、それ以来、先にさらりと明かすことにしているんだ。これによって立ち退き交渉はわりとスムーズに行えるから。
僕なりのファーストコンタクトだ。今回のケースもきっと簡単だろう。
だから、たいして考えもせずに、僕は気楽に尋ねたんだ。
「僕の名前は、佐伯健太です。あなたはどちら様ですか?」
「サーキ、エータ。……変わった名前ね。私はナミオラニノネインのスヴェトラーナ=リオラレインよ」
なんですか、それ。
っていうか、どこですか、それ。
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