まあそういうわけで、ナミオラニノネインのスヴェトラーナ=リオラレインという、早口言葉に韻を踏ませた、オロナインみたいな名前の女の子が今、僕の中にいるのである。
世界情勢に詳しいわけではないけれど、それでもナミオラなんとかという国名なんて聞いたこともない。
ちなみにあの舌を噛みそうな長ったらしい名前だけど、本当のフルネームはもっと長くてちゃんとしてあるんだそうだ。教えてくれたけど、とても覚えられなかった。その中に「メルセデス」というわりと耳慣れた名前があったけれど、ベンツにはなにも関係がなかった。母方の祖母の従姉妹のさらに祖母の――とにかく遠縁のおばあさんの名前。それが入っているらしい。
よくわかんないけど、とりあえずメルセデスが女性名であるということだけは理解できた。
――僕にとってはやっぱりベンツだけど。
途方もなく続きそうな名前を全部覚える気はもうなくて、僕はスヴェトラーナという一番頭にくる名前を、さらに短くして使用させてもらうことにした。
さて、そのラーナだけど、あのハイキングから今日で早くもニ週間が経過しているというのに、未だに離れないでここにいる。今までの最長記録は、ばーちゃんの五日間だったんだけど、それをついに更新してしまった。タイ記録続行中だ。
まるで彼女と僕が離れたがらないかのように受け取れたら申しわけないけれど、そうじゃなくって、彼女自身もよくわからないらしい。僕だってそうだ。同胞以外の人がやって来たことなんて一度だってないんだから。
両親に相談してみると「国際化社会の幕開けだ」とか「芸域が広がったな、健太」とか、あげくの果てには「で、どんな女の子なんだ、おまえの好みか?」ときたもんだ。
好みもなにも、顔もわからないのにどうするんだろう。
なまじわかったところで、どうしようもないことを忘れてるんじゃないだろうか。
そう。僕の中にいる人はいつだって「幽霊」さんだ。
死んでしまって、解き放たれた思念体なのに。
そんな子とどうなるっていうんだろう。
どうしろっていうんだろう。
っていうか、なんでこんなこと考えてるんだろうな、僕。
「ねえ、ケンタ」
「なーに」
「なにしてるの?」
「勉強。邪魔しないでくれるかな」
「ひどーい、邪魔なんてしてないじゃない。ねえ、マース」
「それが邪魔なんだってばさっ!」
ガオーというか、ウォーというか。獣の咆哮が頭に木霊した。
素姓自体が不明だっていうのに、さらに不可解なことに、このラーナ。いきなりペットを連れてきた。
具体的にどうやって連れてきたのかさっぱりわからないけれど、三日目にいきなり頭の中で紹介された。
女の子がペットとして可愛がるくらいなんだから、愛玩動物なんだろうとは思うんだけど、あれはどう考えても怪獣の咆哮だよね。ゴジラとかレッドキングとかそんなかんじ。見えないってのはいいことだと思ったよ。
十日目に突入した頃には慣れっこになってしまったけど、
こんなのに慣れてもちっとも嬉しくない。
「あら、どうして? 精神感応なんて、誰でも出来るものじゃないって言ってたわ」
「なんだよ、それ。テレパシーってこと?」
「それこそなあに?」
「だからつまり……、言葉を口にせずに相手に伝えるってこと」
「へえー、じゃあケンタはテレパシーなのね」
「いや、テレバシーは人称じゃないんだけどなあ……」
そもそも僕のこれは超能力っていうよりは、霊能力っていうほうに近いような気もするんだけど。
とにかく今まででわかったことは、ラーナは当たり前だけど、僕の知っている世界に住んでる人じゃないってこと。じゃあどこなんだっていわれてもちっともわからない。話はいつもすれ違いだし、まったくもって噛み合わない。これは精神疲労だね。見えない相手とじゃ、ジェスチャートークも出来やしないよ。
「いいわよね、そうやって人の役に立てる仕事を持ってて」
「仕事じゃないって」
「ううん、仕事よ。いいなー、私も、仕事したい……」
そう呟いた声は、憧れっていうよりは願望に近いような響きを持っていて、僕は不思議になって訊いた。
「ラーナはいくつなの?」
「失礼ね、女性に年齢を訊くなんて」
ツンとした声が突き刺さった。脳みそにキーンってかんじ。
どこの世界でも女の人ってのは同じなんだな。
いいこと、健太。女性に年齢を問われた時は、自分が言おうと思った数より、最低でも三つは差し引いて答えなさい。それが処世術よ。
母親がよく言っていたことを思い出す。
付け加えれば、それは十代の後半から有効になる手段で、半ばまでは若くみられすぎても嬉しくないの。子供っぽいって言われるのが嫌なのよ──と。
だからそれを踏まえて言ってみた。
「僕と同じか、それより上かなーって思ったんだ」
「ひどい、それって私が老けてるっていいたいのね! 顔も知らないくせに!」
──やっぱり女の子って、わからない。
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