強い力で押されたみたいな感覚。
白と青とのコントラストが綺麗だった視界は、あっという間に暗転して真っ暗になった。
頭がぐるぐると回って、今度こそ地震みたいで、ちょっと気持ち悪くなる。
そうして気づくと、僕は僕の部屋にいた。
目をぱちぱちと瞬かせる。ニ、三度頭を振ってみる。手を動かす。立ち上がる。屈伸運動。
どうやら僕はちゃんと「僕」に戻っているらしい。
やっぱりあれは夢だったんだろうか。それとも白昼夢?
壁にかけてある鏡を覗くと、さっきまで見ていた少女の顔はどこにもなくて、いつも見慣れた自分の顔が映っていた。そしてその後ろに見えるのは、これもまた見慣れた銀色に光る円筒形の装置。
ラーナの部屋で見た、とにかく白いやつなんて信じられない。
あんなの個性のないただの量産型じゃないか。
これは僕個人の、僕仕様の『冷凍睡眠装置』なんだから。
「どう考えたって、あんな無機質な場所よりいいと思わない?ここにはちゃんと生活する世界があるんだからさ」
窓の外を見る。
外にはちゃんと空気があって、人が生活するために十分な環境がきちんと整えられている。
学習映像で見た昔の地球を可能なかぎり再現していて、僕はその中のアジアスペースにいる。
いつどこの星に定住するとしても違和感がないように、人々は生活しながらにして、常に学習して暮らしているのだ。
太陽は人工だけど、ちゃんとその役割を果たし、草木だって育つ。風に吹かれて、その葉を揺らす。
どういった仕組みなのかを、僕は知らない。それが当たり前だと思っていたし、今いる「星」を再現したドーム型の船以外にも母星を目指す船があることだって、知識としてはわかっていても本当に存在するだなんて、想像すらしていなかった。
「だからさあ、きっと君達の船だって、僕らの星船みたいになることは可能だと思うんだよね。──ねえ、どうしたのさ」
あんまりにも黙りこくったままのラーナに対して、僕は訝しげに声をかけた。いつもの彼女なら、あれやこれやと反論してくるはずなのに。
だけど、頭の中はとても静かだった。
テストの最中に、大事な答えをド忘れしたみたいに。
あるはずのものが消えてしまって、そこだけが真っ黒になってるみたいなかんじだった。
「……ラーナ?」
いない。
消えた?
ううん、違う。きっと僕が彼女の中に入ったとき、彼女は彼女に戻っていて。
そして僕が弾き返された。
つまり、元の状態に戻ったってことなんだ。
なんだ、そうか。
……ずるいよな。
さんざん好き勝手にやらかして、僕を引きずりまわしたと思ったら急にいなくなるんだから。
胸の中で文句を言ってみる。
僕の声だけが虚しく頭に響く。
打てば返すように聞こえていた反論の声は、もうどこからも聞こえなかった。
一人で呟いてるみたいで、それが馬鹿みたいに思えて、ため息をつく。
今までの「誰か」と違って、妙に胸の中がぽっかりと空いた気がしているのはきっとあれだ。こんなにも長い間、一人の「誰か」と一緒にいたことがなかったから。
あんな風にずっと居つづけるやつなんていなかったから。
だから急にいなくなって、スペースが空いちゃったみたいな気がするんだ。
うん、きっとそうだ。
「あーあ、せいせいした」
窓をあけて、そう口にしてみる。
人工太陽が眩しくて、目を細める。
見上げた空の向こうには、広大な宇宙空間があって、ひとつの星を目指している。
長い時をかけて人が住めるように構築したらしい星。
僕が生まれるよりもずっとずっと、わからないぐらいの昔の話だ。
遥か過去に離れ、けれどまたそこへと戻ろうとしている、
それが「テラ」と呼ばれる蒼い星。
一度滅びた星。
破壊され、人が住める環境ではなくった場所。
終末の時、人々は故郷を捨て、宇宙へ逃げた。
新天地を求めて。けれど、どこか未練を残していたのか、それともきっとこれ以上の星はないと悟っていたのか。彼らはその星をクリーニングするべく仕掛けをほどこして、そして去ったと、神話は伝える。
僕らは彷徨い続ける旅人だった。
いつか帰る場所がある旅人。
それがいつになるのか、はっきりとわからないけれど、いつかきっと帰ることができる母星を持っている。
先人達にはそれが誇りであったらしいけど、今の僕にはイマイチよくわからない感覚だ。僕にとっては、今住んでいるこの環境こそが生きる世界であって、そうじゃない生活なんて想像できない。
だから正直、そんな星が本当にあるのか、ずっと疑ってた。
夢を見ているだけ。
憧れて、手に入れたいと願って、そう思うことで気持ちを高ぶらせているだけ。
この旅には終わりがないのだと。
そう考えることが嫌で、逃げてるだけだと思ってた。
だけど、この世界で一年前のことだ。船は、そこへ向かう道を見つけたという。
偉い人が、やっぱり偉そうに演説していたのを聞いて、希望と不安とか入り混じったみたいな雰囲気が世界中に広まっている。
そこがどんな場所なのか。本当のところは誰も知らないんだから、不安にだってなると思うんだよね。
そもそも、存在しているのかどうか、辿り着けるのかどうかすら、ずっと定かじゃなかったんだから。
でも、その星はちゃんとあって。
そして、同じようにそこへ向かっている誰かが確実にいることを、今の僕は知っている。
時間なんて関係ない。
そう言っていた女の子がいるのを、僕は知ってる。
彼女達の船と僕の船は、まるで様式が違っていた。
太古、テラを旅立った船はひとつではなかっただろうから、それもまた不思議なことじゃない。
でも、同じ時を過ごしてきたにしては、なにもかもが異なっているような気もした。
本当に同じ「人」なのかと、ちょっと疑問に思ったぐらいに。
でも、それでもいいんじゃないかと、僕は思う。
次元も、時空すら飛び越えて。
ひょっとしたら想像するよりももっと未来だったり過去だったりもするかもしれない時間と場所に存在する友達が、僕にはいる。
それって結構……、ううん。
全然悪くない。
だけど、ひとつだけ問題があった。
どうも彼女が置いていったらしいペットのマースくんが、頭の中で時折雄叫びをあげるのだ。
おかげで僕に入ってくる「誰か」は驚いてすぐに出て行ってくれるけど、僕自身が静かにしたい時に暴れられると少々やっかいだった。テストとか、集中できないじゃないか。
だから僕は決めたんだ。
もう一度会って、そうしてマースくんをきちんと引き取ってもらうんだって。
今から何年かかるのか知らないけど、絶対直接文句を言ってやるんだからな、ラーナのやつめ。
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